「介護の流儀」曽野綾子著
(河出書房新社)
夫源病の発生メカニズム
夫の存在が妻の健康に害を及ぼす?
大阪樟蔭女子大学学芸部教授・石蔵文信(ふみのぶ)氏の著書
『妻の病気の9割は夫がつくる』
「毎日が発見」の「夫源病」特集
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自分では気がついていないけれど、夫の存在が主に更年期障害の理由とされるものを言うらしい。
さらに定年後、夫がうちにいるようになる頃発生するさまざまな慢性病を指している。
定年後の暮らしについて
「とても楽しみ」
夫 12.5パーセント
妻 1パーセント
定年後の生活
「とても不安」
夫 2.5パーセント
妻 13パーセント
今すぐ夫をチェックしよう
「人前では愛想よく、家の中では不機嫌」
→曽野家では
「外ではぶっきらぼうだが、うちの中で
はニコニコしている」
「家族に対し、上から目線で会話する」
→ 私は、講義してくれる人が好きだから気にならないのかも知れない
「とんでもない。家事を頼む時はおろおろしている」と夫は言うだろうけど。
「家事をまったく手伝わず、口だけ出す」
→ そんなことはない。こまめにお皿を流しにぶ。
これは優しさのせいではなく、こんなところでまでこまめに運動しておけば、女房より長生きするだろう、という計算かららしい。
「家族を養っているという自負が強い」
→ 夫は恐ろしくお金を使わない性格である。
本以外には何も要らないのである。
自分が稼いできただけとうてい使っていないから、残りを家族がどんなに使おうと知ったことではないのである。
お金の使い方で、文句を言われたことがない。
「『ありがとう』『ごめんね』を言わない」
→ 夫はこんなことくらいよく言う。
「タダだもんな」
「妻の行動や予定を細かくチェックする」
→ こういうこともしない。
妻がどこへ誰と行くか、私の口から聞かされても注意して聞いていないから覚えていない。
私がサハラに行った時、知人たちから
「奥さん、サハラだそうですね。よくそんな危険なところへ出かけるのをお許しになりましたね。」と言われようものなら
「何でも砂漠に行くと、神が見えるんだそうですよ。しかし砂漠に行かないと神が見えるないとは、不自由なもんですな」と嬉しそうに答えていたようである。
親しい女流作家の御主人は、彼女が
「仕事でどこどこへ行きます」と言うと、まず
「僕の飯は?」と聞くのだという。
でも、彼女が誰と、どんなところへ行くかは全く気にしていない。
妻の行動を細かくチェックする夫族は、私の周囲にはあまりいない。
「仕事関係以外の友人や趣味が少ない」
→ これは我が夫にも当てはまる。
彼は本だけだ。
88才に近くなっても、三日にあげず本屋に行く。二階の寝室にはどんどん本が増える。
「妻がひとりで外出するの嫌がる」
→ そういうこともない。
「長い年月、俺は結婚生活に耐えてきて、そんなことくらいに弱音を吐く男ではない」と思っている節もある。
私がアフリカに行くと言えば、仕方がないと思っている。それに、私が一人でアフリカへ行かなくなったら、私の健康に問題が生じた時なのである。
「家事の手伝いを自慢する自称『いい夫』」
→ そうでもない。
家事を手伝うのは、女房のためではなく、自分のトレーニングだと思っている。
「車の運転をすると、急に性格が変わる」
→ そんなこともなかった。
靖国神社参拝に行ったとき、近くのホテルの駐車場で、夫は柱に軽く車をこすって傷つけた。私は大々的にケンカをして、その日にやめる決心をさせた。
いい記念日になった。
戦争で亡くなられた方たちこそ悲願とされたに違いない
「自分も人も殺さずに済む」という目的がこれでも一部果たせたからである。
それから靖国神社の拝殿の前まで行き、
こんな平和な日本の今日を、命にかえて贈っていただきましたおかげで、夫にも生涯人身事故を起こさせないで済みました、と英霊に深くお礼を申し上げたのである。
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「夫源病」があれば、「母源病」がある。
それぞれ、深刻な問題ではありますが、曽野家のように、ジョークで切り返すことができたらいいな、と思います。
「砂漠に行かないと神が見えないとは、不自由なもんですな」には、笑ってしまいました。
気さくにお呼びしてますが、実はお二人はとても偉い方々なんです。何てったって、天皇陛下と度々お会いになられるんですから。
三浦氏は「妻にするなら曽野綾子」と、どこかで言っておられました。ベタ惚れだったこともありますが、奥様の仕事を大変尊重しておられました。そして、全力で支えられた、と思います。これは、今時よく使われる言葉ではありますが、自立した、心の強い男性でなければ出来ないことではないだろうか、と思います。
「長い年月、俺は結婚生活に耐えてきて、そんなことくらいに弱音を吐く男ではない」の
男の矜持に拍手を送りたくなりました。
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