emilyroom’s diary

徒然なるままにブログ

70にして・・・矩をこえず   old age

 

86歳にして到達した

「人生の至福」にとって大切なこと

「実践 快老生活」

知的で幸福な生活へのレポート

         (渡部 昇一 著 PHP新書

 

論語 「七十にして心の欲するところに従って矩をこえず」

70歳は、古稀と言って昔は珍しかったが、今や

「秋晴れや 古稀とはいえど 稀でなし」(佐藤愛子)という句もある。

70歳代は、昔でいうなら、50~60歳代ですぞ。

しかし、

「70歳が老化の別れ道」という本もある。

 

「高齢社会」を生きる初心者である私たち。

賢者の声を聞き、参考にして、少しでも潤いのある生活が送れたらいいなと思います。

 

 

 

著者86歳

……

「矩をこえず」と言われるが、

矩をこえようと思っても、もうこえられないのである。

 

平均寿命が延びた現代を孔子の時代と比べるならば、「年齢を0.7で割れ」といわれる。

それに準じるならば、孔子の時代の70歳というのは、現在の100歳に相当することになる。百歳では行き過ぎであるというなら、せいぜい90歳くらいであろうか。……

 

若い医師などは「散歩すると元気になりますよ」という。

しかし、それが必ずしも真実ではないことを知る

若い医師には、

「好んで散歩をしていたのに、思う存分に歩けなくなる」ということがどういうことか実感はないだろう。

……

 

第一章 「歳をとる」とはどういうことか

 

☆ 歳をとってみないとわからないことがある

☆ 「下流」を杞憂するより自らの足元を固めよ

  「下流老人」という言葉は生活保護を受給する水準で生活を

      する高齢者や、その恐れがある高齢者をさす言葉らしい。…

        近い将来、日本の高齢者の9割が下流化するらしい。

  現状の日本は確かに世代間格差がある社会

  つまるところ

  自分が老人になったあとの生活というものは、自分がそれまで

       なしてきたことの到達点であり、自らの「実り」の収穫なのだから。 

   どんなに「社会が間違っている」と叫んだところで、

       結局のところ、自分、そして愛する家族の生活は、自分で守る

      しかないのである。

 

   もう老境にさしかかった人でも、道はいくらでもある。

   なぜなら、幸福や満足というものは、畢竟その人の心の内なる

       ものだからである。

 

   思うままに生きて、なお晩節を汚さないのが、幾十年も人生の

       山や谷を乗り越えてきて、精神を修養してきた大人のあり方だろう。

 

☆ 歳をとると自然に矩をこえなくなる

☆ 「ああ、漱石はまだ若かったんだなあ」

☆ 「歌詞」を覚えることの効用

   歌を思い出し、あらためて覚えて、声を出して歌うことは、大きな効用をもたらすようである。

   

   現代の老年の人々なら、明治から昭和にかけての流行歌の名曲もいい。

   昔の名曲は覚えるに値する歌詞になっている。

   いわば現代版の『万葉集』のようだ。

 

☆ 物忘れなど憂うなかれ

☆ 老人の話が役に立つ理由

 

   まだ86歳にならない人には、なにがしかの功徳になる部分もあるだろうと思う。

   散歩を日課としていた者でさえ歩けなくなるとしれば、「若いころからもっと歩いていれば」という後悔は随分軽減されるかもしれない。

 

   私は、もし誰かから「もう一度、若くなりたいですか」と聞かれることがあったら、「若くなりたくはありません」と答えたい。

 

   自分の一生を振り返ると、日本に生まれたことから始まり、いろいろな偶然の重なりで、きわめて幸運な男であった

   私はもう、この人生で十分に結構である。そして、そう思えることは、とても幸せなことだと思う。

 

 

第二章 凡人にとって本当の幸福は「家族」である

 

☆ 長姉が教えてくれた人生のいちばんの幸福

  

  姉は本当に私の子どもたちと会えることが楽しかったし、毎年、心からそれを楽しみにしていたのだ。

  彼女自身の子どもだったら、もっと嬉しかったかもしれない。

  傍目にはさびしい人生を送ったようにみえるであろう姉は、わたしの子供に会えたことが「一番の幸せ」だったと、しみじみ」述懐したのである。

 

☆ 親の恩は」子に送れ

  

  親孝行する気があるなら、子供をかわいがってやる。

  親の恩を子に送ることが親孝行になるというのだ。

 

☆ 家族がなくても「惜福」「分福」「植福」

 

  幸田露伴の言葉 

   惜福とは、何様(どう)いうのかというと、福を使い尽し取り尽してしまわぬをいうのである。 ……

   分福とは、何様(どう)いうことであるかというに、自己の得るところの福を他人に分ち与うるをいうにである。……

   植福とは、何であるかというに、我が力や情や智を以て、人世に吉慶幸福となるべき物質や情趣や知識を寄与する事をいうのである。……

(『努力論』)

 

……

上智大学の近くにワンルームマンションを借りることにした。

ゼミの学生たちのたまり場がなかったので、その部屋を自由に使ってもらったのである。

タバコと麻薬は絶対にやってはいけないが、酒は飲んでもいいことにした。

もちろん帰れなくなったら、その部屋に泊まってもいい。

 

私はそこに顔を出したことはなかった。

学生たちに聞くと、とても喜んでくれていたようだし、賢明に使ってくれていたようだ。

 

その部屋は、私が定年退職するまで、ずっと借りていた。

利用した学生たちの多くが今では、大学の先生になっている。

……

私の投資は何倍にもなって返ってきたといえるだろう

ーー 教育者として後進を育てえた喜びというかたちで。

 

 

第三章 「お金」の賢い殖やし方、使い方

 

第四章 健康のために大切なこと

 

☆ 自分を呪っては絶対にいけない

  健康のために大切なこと

  ① 身体の病気についても、やはり「心」や「精神」がとても重要なる役割をはたす。

  ② 自分で健康法を試すならば、

   「その健康法を実践している人が長生きしているものを選ぶにかぎる」ということである。

 

  70歳前後のときに、足の骨を折ってしまった。

  ギプスで固定し、松葉杖で歩かなければいけなくなった。

  これは不便きわまりない。

  ……

  ついつい「チクショウ」と思ってイライラしていた。

  …… 帯状疱疹になってしまったのである。

 

  やはり自分を呪ったり、自分自身で屈辱に思うことが、いちばん自分自身を傷つけるのであろう。

  

  もっと素直に受け止めて

  「神様が命じたのだ」

  「たまにはこういうこともある。仕方がない」

  くらいに考えておけば、帯状疱疹になることはなかったのではないか。

 

☆ 不治の病なら無理に治さないという選択肢も

☆ 睡眠・昼寝は健康のもと

☆ 身体を柔軟にして血の流れをよくする。

☆ 年に二回くらい断食すると調子がいい

☆ クスリも放射線も量の問題

☆ 自然食品に執着しても必ずしも長生きしない

☆ やはり長生きした人の話を参考にすることだ

 

第五章 不滅の「修養」を身につけるために

 

☆ 老後こそ「機械的な仕事」を心がけよ

☆ 漫然とやってはいけない

☆ 「短い名句」が救ってくれる

 

第六章 次なる世界を覗く -- 宗教・オカルトについて

 

 ☆ 世界でいちばんすすんだ宗教共存

 ☆ 外国人に天皇、神社を理解させる方法

 ☆ 宗教を信じて愚かになるのではいけない

 ☆ 九十五歳を超えると宗教さえいらなく

   九十五歳くらいをこえた高齢者は、あまり死ぬのをこわがらない

   凡人が苦しまずに死にたいのであれば、最良の答えは「長生きをすること」に尽きるのではないか

   もし、九十五歳くらいまで年を重ねれば死ぬことさえ怖くなくなるのだとすれば

長生きしさえすればいいということになる

   問題は、年を取ってから、その境地に達するまでに間である。

   …… 人間学を学び、分福、植福を行う

      キリスト教徒であれば、バイブルを読む

      仏教徒であれば、写経をする 等

 

 

第七章 「幸せな日々」のためにやるべきこと

 

☆ 冷暖房で日々の幸福度は劇的に上がる

☆ 「床暖房」は老人の幸せの最たるもの

☆ 遺産相続など案外脆い

☆ 人生の本当の幸せは平凡なところに宿る

  …… やはり人生の本当の幸せは、家族とのふれあいなど、ごく平凡なところにこそ宿るのではなかろうか。

    これが私の最終結論である。

 

 

・・・・・・・・・・

 

 「もう一度、若くなりたいですか」ときかれたら、「若くなりたくない」といわれました。

 自分の一生を振り返ると、日本に生まれたことから始まり、いろいろな偶然の重なりで、きわめて幸運な男であった。

 私はもう、この人生で十分に結構である。そしてそう思えることは、とても幸せなことだと思う。と書かれた。

 

 はて、どこかで聞いたことがあるような・・・と思いました。

 あった、あった。

 曽野綾子氏の『介護の流儀』の中にあった。

 

  日本の戦後のこれほどに長い平和の中で人生を過ごせたことは最高の幸運だった。息子も孫も、自分の未来を自由に選べる、と思えるぜいたくを与えられた。

  私はその幸運を、最後に深く感謝して死ぬだろうと思っている。

 

である。

 文章の違いはあるが、同じことを言われていると思います。

 家族を大切にし、地域(職場、大学)や、国に対して、偉大な貢献をしてこられたことは、口にされず、ただ感謝の念を現わされました。

 日本の国に生まれたことに深い喜びを感じておられるところも同じです。

 

偉大な足跡を残されたお二人は、生き方も私たちのお手本になるものでした。

 

◇◇◇