emilyroom’s diary

徒然なるままにブログ

カミラ夫人 「王妃」に

エリザベス女王は5日、即位70年を前に発表した国民向けの声明で、王位継承順位1位のチャールズ皇太子(73)が将来、国王に即位する際、カミラ夫人(74)に「王妃」の称号を与えたいとの考えを示した。

 女王が王族の将来の称号について言及するのは異例という。

 

 英国民に根強い人気がある故ダイアナ元皇太子妃と皇太子の離婚原因が、皇太子とカミラ夫人の不倫にあったと指摘される中、国民が女王の意向に反発する可能性もある。

 

 女王は声明で「皇太子が国王となるときが来たら、カミラ夫人が王妃として知られるようになることを心から願う」と言及した。

 

 皇太子はダイアナ元妃と1996年に離婚し、カミラ夫人と2005年に再婚。

カミラ夫人は当時、2人の結婚を破綻させた張本人として国民の反発を買った。

 

 そのため、カミラ夫人の称号は皇太子との再婚時も問題になった。

 カミラ夫人は現在、皇太子妃を意味する称号「プリンセス・オブ・ウェールズ」を使用していない。

 

米CNNにテレビによると、皇太子や元妃の長男、ウィリアム王子らもカミラ夫人の「王妃」の称号に同意し、国民の理解を得られるとの判断に至ったとみられる。

                 産経新聞 2/6㈰ 

 

     ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

国民は、理解を示すのだろうか?

 

さて「、カミラ夫人ってどんな人」

   「25ヴァンサンカン」から

 

カミラ夫人は、良家の子女として誕生

 1947年7月17日、父ブルースと母ロザリンドの第1子としてロンドンで生まれる。

 

海外生活を経て社交界デビュー

 まず、サセックスのダンブレルズ・スクールで、そして10歳からはロンドンの名門女学校クイーンズ・ゲート・スクールで学び、16歳からはスイスとフランスにあるフィニッシングスクール(いわゆる❝花修行❞のための学校)へ通う。

 友人からは「ミラ」の愛称で呼ばれ、活発で奔放な性格だったそう。

 

 その後、1965年に帰国しロンドンに住み、秘書の仕事をしつつ華やかな社交界のイベントに出るなどして人脈を広げる。

のちに最初の夫となるアンドリュー・パーカー・ボウルズともこの頃出会っており、くっついたり離れたりを繰り返すようになったとされる。

 

チャールズ皇太子との出会い

 やがて、チャールズ皇太子との出会いが訪れる。

 

2人が初めて知り合ったのは、1970年に行われたポロの試合だったという説と共通の友人ルチア・サンタ。クルズに1972年に紹介されたという説がある。

後者が有力なよう。

 

カミラ 最初の結婚

 逢瀬を続けていたカミラとチャールズだったが、1973年の1月からチャールズが海軍艦に乗り込み8か月英国を留守にすることに。

彼が「自分の帰りを待っていてほしい」という本心をきちんと伝えなかったためか(皇太子という立場による迷いもあった?)、

カミラはその後アンドリューと復縁。

1973年3月にプロポーズされ、同年7月4日にロンドンで盛大な結婚式を挙げた。

カミラ25歳、アンドリュー33歳だった。

 

 

チャールズ皇太子も結婚するが・・・

 チャールズ皇太子も、その後に交際していた伯爵令嬢セーラ・マッコーコデールと別れ、その妹で16歳だったダイアナ妃と1977年頃出会い交際をスタート。そして2人は結婚する。

 

 世紀の結婚ではあったが、カミラ&チャールズの関係そのものは完全には解消されておらず、4年ほどたった頃から再び火がついたと報じられている。

 

 

ダイアナ妃と対峙

 ダイアナ妃自身がのちに明かしたところによると、

1989年に行われたカミラの妹の40歳の誕生日パーティに乗り込み、「あなたとチャールズの関係はすべて知っている…」と言い放った。

カミラが「あなたは欲しいものをすべて手に入れた。世界中の男性があなたに恋してるし、2人のかわいい子供もいる。これ以上何を望むの?」と聞くと、

ダイアナ妃は「私の夫よ」と答えた。

 

 

ビッグスキャンダル

 

 「タンパックス・ゲート」または「カミラ・ゲート」

 

 チャールズ皇太子がまだダイアナ妃と正式に離婚する前の1992年当時、カミラとの通話が盗聴、リークされ一大スクープに。

 

 皇太子の「君のタンポンになりたい」という発言は世界中に衝撃を与えた。

 

 このスキャンダルは、タンポンのブランド名から通称「タンパックス・ゲート」または「カミラ・ゲート」と呼ばれている。

 

 

カミラ 1995年に正式に離婚

 カミラとアンドリューは、結婚から22年後に離婚

 

カミラとチャールズ 2005年に再婚

 1997年にダイアナ妃が不慮の死を遂げ、しばらくは距離を置いていたとされるカミラとチャールズ。

が、皇太子はその後息子たちや王室にカミラの存在を受け入れてもらえるよう努力を続けた。

 1999年に交際を公のものに。

 2005年には婚約を発表、同年4月にゴールイン。

 ダイアナを厚く支持していた国民の声などを配慮してか、親族中心の小規模な民事婚を選んだ。

 

 この結婚により、カミラは「コーンウォー公爵夫人(The Duchess of Cornwall)」という肩書を得ることに(ダイアナ妃に与えられていた「ウエールズ公妃」の肩書は辞退した

また結婚に伴いエリザベス女王から与えられた紋章は、チャールズの紋章からとった獅子と、父ブルースの紋章からとった猪が並んだもの。

 

2人は2020年で結婚15周年を迎えている。

 

婚約指輪は義理の祖母のもの

 チャールズ皇太子がカミラに贈った婚約指輪は、エリザベス女王の母・クイーンマザーがもともと所有していたもの。

 5カラットのエメラルドカットダイヤモンドの左右に、バゲットカットの3つのダイヤモンドが並んだアールデコ調のゴージャスかつシックなデザインで、シンプルなゴールドの結婚指輪と重ねづけしている。

 

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とうとう、カミラ夫人は公式に国王の妃と認められることになったようです。

これまでの道のりは、長かったように思いますが、どうでしょうか。

「忍耐」という文字が浮かびました。

 

意外な感じかもしれませんが、チャールズ皇太子の「純愛・一途さ」を感じてしまいます。

恋について、男性は一途で、チャーミングですね。

男女の間には、いろいろあるけど、こんな側面もありますということを教えてもらいました。

それと、女王の「親心」です。

 

英王室は、今問題が「山積み」のようですが、この決定が良い結果をもたらしてくれるといいなと思っています。

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