emilyroom’s diary

徒然なるままにブログ

介護の流儀   care

介護の流儀

 人生の大仕事をやりきるために

     曽野綾子 著 河出書房新社 から

 

 ご主人の両親、ご自分の母親、最後にご主人の介護、看取りをされた。

 

 三浦氏が転倒して入院した。入院しているうちに、軽い認知症的症状が出始める。

 この時の経験から、「病院にせよ老人ホームにせよ、施設に預ける気を失った」と言われる。

 

 「それで私自身が、家で介護人になった」

 

 自分のことは自分でする。

 時に危険なジョークは頭を活性化させる。

 自立した生活をできるだけ続ける

 夫を歩かせる「スプーン一本運動」

 楽したままで生活を便利にする方法を考える。

 

 ご主人も奥様の言うことを理解して、協力される。

 

高齢者の務めとは

 もう、これまでのような引退は出来ない。

 問題は、人間がなかなか死ねないこと。

 高齢な病人が、一人で暮らす時期が長く続く。

 

 人手が足りなくなる。

 

 健康な限り、より不健康な人のためにどこかで働け、と言う事だろう。

 

 人生も後半になって作者が心がけていること

  会話と緊張

  自分を甘やかさず、掃除、洗濯、炊事、そ

 れに付随した営みが一応できる人間を維持

 し、いつ一人になってもいいように心を鍛

 えながら生きようという決意

 

 日本の戦後のこれほどに長い平和の中で人生を過ごせたことは最高の幸運だった。

 息子も孫も、自分の未来を自由に選べる、と思えるぜいたくを与えられた。

 私はその幸運を、最後に深く感謝して死ぬだろうと思っている。

 

 曽野氏の「教育」のお陰で、私も、そう思って死を迎えたいと思うこの頃だ。

(氏とは一面識もない、一ファンだが)

 実は、これを読んだときは、涙が出て困った。氏との出会いには感謝しかない。

 

 お年寄りの介護をしていた人が、「…でも大変なのは身内で、ニ十四時間、何年続くかわからない、ということになると、心理的に追い詰められるんです」と教えてくれた。

 

 自宅介護の家族に、とにかく

決まった休み時間をあげるという制度は、

偉大な優しさなのである。

 

 戦後日本人は三つのものから解放された。

 第一は 戦前の封建的な社会制度とその圧迫

 第ニは 貧困

 第三は 思想言論の統制弾圧 である。

 これらはいずれも、深く人間の寿命そのものとも、満ち足りた老年ともかかわっている。

 

 …しかし同居していれば、毎日親たちが元気かどうか見守っていられるのがよかった。

 

 長い何月を生きてきた老人は、体こそ老いて弱っているかもしれないが、たくさんの人生を見てきて、複雑な人生の受け止め方ができるような豊かな精神構造を備えるようになっているはずだ。…

 

 介護に関わる若い人は、肉体の衰えにばかり目がいって、この精神構造に気がついていないかもしれない。

 

 お年寄りは何も言わないけれど、言わないだけだということも知っておきたい。

 

 核家族と大家族

 

 大家族の分厚い強靭な人間関係や支えあって生きる安心感 …

 

 昼夜のけじめ

 重病人でない限り「寝巻きのまま」の習慣は避ける。…

 

 生活上のメリハリは大切

 

 肌に触れると相手は心を開く

 

 励ましの心は、老人よりも介護者にすべき

 

 「おもてなし」より「気配り」の時代ではないか

 

 老人と障害者が好きなのは、外の世界を覗くことのような気がする…

 

 努力しないで、ちょっとしたとことをする

 自分の失敗談を語るなど

 

 悪いこともいい

 姑からの苛めが、人の役に立った …

  四肢を動かせない女性に毎日入浴させられ

   る技術

 

  涙なくして聞けない話だ。

  身体の不自由と思われる姑は、風呂に入れ

 てもらいながら、どんな嫌がらせをしていた

 のだろうか? 長年。 

  胸が痛む話だが、涙と共に和解され、本物

 の平和が訪れたと思われる。

 

 腕力で生きた …

 人生に対する闘いの姿勢の必要 …

  両足首を骨折しても、腕力で乗り越えた。

高齢社会の出現が

「自分のことは自分で何とかする」という

 最低限の社会的責任を要求される

 

 そうでなければ、家族も社会全体もやっていけない。

 

 老年ということは、

 悪意にもいらだたないということを教える英

  字新聞のマンガ

 「シャーマン池」 ジム・トゥーミイ著

 

 人間性の証

 「会話」は、食事・排泄・入浴と同じくらい

  大切

 

 老人たち同士に会話をさせる。

 どうしたら最後まで外界に興味を持ち、人の語るのを聞いてそれに反応し、自分の考えを話せるという状態を保てるか

 

 しゃべっててこそ人は動物と違う存在になる

 

 老年に向かう効用

 健康な老生という変化を愉しむ

 

 サマセット・モーム

 『モーム語録』

 

 多分人間は徐々に成熟する。

 

 姥捨ての村

 老いに毅然と向き合えない日本人

 

 年寄りが毅然としなくなった

 

 アフリカのある村で

 本当の棄民、姥捨てを見て来られた。

 

 実は村民の暮らしの経済的なじゃまになる高齢者の、

 主に女性を始末するという目的が制度に含まれていると思うと書いてある。

 

 悲惨な運命に遭った女性と少数の男性、合わせて五百人以上を集めて、とにかく生かしているカトリックの施設を訪ねられる。

 

 日本では、どのような老人にも、ともかくも衣食住を与え治療する。…

 

 アフリカの姥捨てを知っていると

それでも、「老人に死ねというようなものだ」と言いますか?日本人。(私の感想)

 死の概念がだいぶ違いますね。

 * 後期高齢者を別枠にして保険制度を作る

   政策に怒っている人たちの言葉に

 

 世界レベルでは言わない。

 

 病気の縁談

 「一生治りません。しかし死にません」は、

 いい病気

 

 診断を受けて、その現実を受け入れ、覚悟を決めて、体の不自由を納得する。

 それが高齢者の生き方としては始末がいい。

 

 何とかなる

 「運を信じる」という謙虚な姿勢

 

 「何とかなる」という言葉の背後には、神が

 いるのだ。

 

 老人教育

 「必ず人はいつかは死ぬ」という覚悟

 

 自分が死ぬとは思ってないらしい老人もいる

 

 耀く日々

 最高の死に方には、その人らしい日常性がある

 

 世の中が変わったこと

 1. ボランティア活動が普遍的になった

 2. 癌などの難しい病気を当人に告知するのが

 普通になった。

 

 人は最後の瞬間まで、その人らしい日常を保つのが最高なのである。

 

 末期癌のその人は、娘が夫と転勤した土地で新たに作った家のことが気になっていた。

できれば行ってみたい。

 常識的な医療体制の中では、許されないと思っていたが、主治医は許してくれた。

 喜びは人に元気を与える。

 娘の家で幸せな数日を過ごした。

 その人は病院に帰った翌日に亡くなった。

 

 もう一つの誕生日

 運命を受け入れる心の準備

 

 カトリックの学校では、子供たちに、いつも死を考えさせていた。

 

 死の日を、ラテン語で「ディエス・ナターリス(誕生日)」と言う

 

 希望通りにならなくても、柔軟にその運命を受け入れる心の準備が必要だ。

 

 壮麗な墓標

 登山家の全生涯を包むマッキンレーの光

 

 黄金の瞬間

 息をのむ夕陽の美しさ

 

  死ぬ日がこんなにきれいだったらどんなに

 いいだろう、とも思う。…

 

  西方浄土のお迎えが来たかと錯覚できるだ

 ろうから。

              *****

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 介護に絞って、気になる部分をピックアップした。他にも、いいお話しが沢山ある。

 興味を持たれた方は、是非、全編お読みください。