emilyroom’s diary

徒然なるままにブログ

年寄りは集団切腹せよ?

 気鋭の経済学者で米・イェール大学助教授の

 成田悠輔(なりたゆうすけ)氏『高齢者の集団自決』発言が国内外で波紋を広げている。

 

 2021年12月に放送されたネットニュース番組で少子高齢化問題について訊かれた際に、〈僕はもう唯一の解決策ははっきりしていると思っていて、結局高齢者の集団自決、集団切腹みたいなものではないかと〉語ったことに端を発している。

 

 この発言は、世界に拡散された。

 

 アメリカの「ニューヨークタイムズ」紙が取り上げると、

 イギリスの「テレグラフ」、「デイリー・ミラー」

 ドイツの「デア・シュピーゲル」などが続き、記事は大バズり。

 世界的関心事となっている。

 

 成田氏としては少子高齢化に伴い逼迫する財政や硬直化した社会システムへの問題提起の意図があったようだが、先の大戦を軽く扱ったかのような言葉のチョイスが大きな反感を招いてしまった。

 

 欧米の著名人や一般読者の反応

 

 ① じゃああなたからどうぞ …ドライな反応

 ◆「イェール大学経済学部の教授の皆さんでどうぞ」

  コラムニスト フィリップ・ハロウェイ氏  

 ◆「じゃあ成田さんが手本を示してよ」

  一般読者

 ◆「大学で雇われているいわゆるインテリが集団自殺してくれた方がもっと効果的だわな」

 『ザ・テレグラフ』のコメント欄

 ◆「成田さんとこのじいちゃんばあちゃんは自宅のセキュリティ費用を増額しただろうね」

  『デイリー・ミラー』の読者

 ◆「セカンドオピニオン頼むわ」

  イギリスの世界的コメディアン、リッキー・ジャーヴぇイス氏

 

 真剣に怒るより成田氏の発言であそんでいる印象がある。

 

② カナダの安楽死制度を思えば他人事ではない

 ◆「アメリカのメディアはカナダの安楽死制度を急速に後押ししている。

❝Xを試したらどうなるか❞ということをきっかけに物事は始まる」

  イギリスの週刊誌「スペクテイター」の編集者、

   スティ―ブン・ミラー氏

 

…… ニューヨークタイムズ」の記事が、成田氏への批判ではなく、むしろ輿論を誘導するかのような問題提起だととらえている。

 

◆「カナダのアイディアを宣伝すんなよ」

 『ザ・テレグラフ』のコメント

 

 先に法制化されているからといって、完全なコンセンサスが得られているわけではないという欧米の事情が垣間見える。

 

 ③ 優性思想、大量虐殺? 悲惨な歴史を思い出す

  経済的合理性からの提言が、生命の尊厳や人権を踏みにじっているのではないかと違和感を感じ、悲惨な過去を思い起こす人も少なくありませんでした。

 

 ◆「ネオリべ版ポルポト爆誕」(@pogorelov_ian)

 ◆「人に教育を与えることはできても賢くすることまではできないんだな。

 年を取れば死ぬだけ」(『デイリーミラー』)

 

 ④ そもそもなんでこんなことを言ってしまったのか

  ◆「記事を読んで、見出しは以下のように変更すべし。

   ❝自身のキャリアアップを望む若者はわざと世間を煽る言葉を使って、ちょっと注目を集めればすぐに撤回する❞ 以上」(@stephenkinsella)

 アイルランド リムリック大学

    スティーブン・キンセラ教授

 

  Yahooニュース 女子SPA!   石黒隆之/文  より

 

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 高齢者を「効率」だけでみる視線は、いつになっても無くなることはないことを知らされました。

 

 「認知症」と診断されたら、もう人間ではなくなるのでしょうか?

 

 特に身近にいる人は、大変な思いをすることがあると思います。

 

 これは、道徳心や倫理の問題として言うわけではありません。

 

 自然は無駄を許さないから、無用と判断されたら、存在できません。

 おじいさん、おばあさんが生きているのは、意味があるからです。

 悲しいこと、辛いこと、苦しいことからも学ぶことがあると賢い人々は言ってます。

 長い人生を生きてきた人たちは、それを実感することが度々あったに違いありません。

 

高齢者の心を教えられる「詩」があります。

谷川俊太郎さんの「キンセン」という詩です。

 

🌷 🌷 🌷 🌷 🌷

 

キンセン       谷川俊太郎  

 

「キンセンに触れたのよ」

とおばあちゃんは繰り返す

「キンセンて何よ?」と私は訊く

おばあちゃんは答えない 

じゃなくて答えられない ぼけてるから

じゃなくて認知症だから

 

辞書を引いてみた 金銭じゃなくて琴線だった

こころの琴が鳴ったんだ 共鳴したんだ

いつ? どこで? 何が 誰が触れたの?

おばあちゃんは夢見るようにほほえむだけ

 

ひとりでご飯が食べられなくなっても

ここがどこだかわからなくなっても

自分の名前を忘れてしまっても

おばあちゃんの心は健在

 

私には見えないところで

いろんな人たちに会っている

きれいな景色を見ている

思い出の中の音楽を聴いている

 

🌷 🌷 🌷 🌷 🌷

 

 ……

 ひとりでご飯が食べられなくなっても

 ここがどこだかわからなくなっても

 自分の名前を忘れてしまっても

 おばあちゃんの心は健在

 

 私には見えないところで

 いろんな人たちに会っている

 きれいな景色を見ている

 思い出の中の音楽を聴いている

……

 

このようなお年寄りは、生きる価値がないのでしょうか?

 

 お年寄りを「効率」で考えることを世界は非難しています。

そのことに安堵はしますが、いつかまたぶり返すかもしれません。

 なぜなら、この考え方はわかりやすく、俗受けするからです。

 

 

お年寄りに

「もう生きていたくない。十分生きた。」といわれると、

「神様のお迎えがあるまでは生きましょうね」

「神様も準備がありますから。」

と、私は答えます。

 

 ただ、生きているだけでいいのです。・・・それは説明するのが難しいのですが、そう感じています。

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それから 

 年寄りは、国のため、子や孫のためなら、

いつでも捨て石になる覚悟は持っています。

 

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父と娘の認知症日記 : 認知症専門医の父・長谷川和夫が教えてくれたこと