「私を変えた聖書の言葉」より (曽野綾子著) 『海竜社』
介護といえば、この方、曽野綾子氏に聞くのがいいと思い、氏の本を開いた。
家が、一時高齢者介護施設のようだったという曽野家。
それぞれのご両親3人を引きとり、面倒を見られたという。
その上、氏は仕事もしておられた。
曽野氏のマネジメントが素晴らしかったと思うのだが、
親の介護で仕事もやめ、心身共に追いつめられる話を聞くたびに、何とかならならなかったのだろうかと心が痛む。
曽野氏はどのように解決されたのか聞いてみたいと思った。
!「私を変えた聖書の言葉」から、介護に関する箇所を勝手に切り取っています。
人は、自分のやりたいことが出てきたとき、介護の問題をどう解決するのだろうか?
ある時、氏は「イエス伝」を書いてほしいという仕事の依頼があり引受けるかどうか逡巡している時、お母様が脚を骨折された。
「内臓の病気ではないのだから、日にちが経てば治る筈だとたかをくくっていた。
しかしこれが素人考えであった。
老人の骨折は、その多くが入院中に食欲不振に陥るという。
10月に入院した母は、12月初めになってから、ぱったりと食べなくなった。別に苦しいとも言わない。一日中うつらうつらしている。点滴は受けていたが、一日にパン四分の一切れくらいしか口にしない。」状態になる。
母は死ぬのだろうか?
… 片方で母が危ないということに、胸が重くなっていながら、片方ではイエス伝が、夢とも現実ともつかぬ形でぶら下がっていた。
… イエス伝を書くための「イスラエル・シナイ半島の旅」のパンフレットが届く。
私は一か八か、母を家に連れて帰ろうと思った。
もし死ぬものなら、あんなに家へ帰りたがっているのだから、家で死なせたかった。
… 暮れの25日に、まず息子が、ついで夫と私がひどい流感にかかった。
母は寝台車で帰って来た。
その夕食に、私は正月を待たずに母の好きなお雑煮を作った。
お餅は小さく切り、客用の輪島塗りの、我が家で一番上等のお椀にきれいによそった。すると母は喜んで、一口も残さず食べた。
「しめた!」と思い、運命との賭けに勝ったかもしれない、と感じた。
事実それが、母が生き延びることになった第一歩だった。
母は正月休みの後、再度入院したが、今度は前のように食事を摂らないというところまで追いつめられなくて済んだ。
…それでも、私は出発することができた。
きれいな輪島塗のお椀のお雑煮が嬉しくて、美味しくて、生きる力が蘇ったのだろうか?
人が生きる力を取り戻すのは、思いもよらないことがきっかけだったりすることは、よく耳にする。
それにしても、一つの決心の前には、いろいろな困難が立ちはだかるものだ。
年末年始は家政婦さんも正月休みをとりたい。
家族が、順番に流感にかかる。
「イエス伝」のことも気掛かりだ。
と、難問が襲い掛かる。
しかし、一か八かの賭けに勝った。
病人、介護者を抱えた家庭の一場面を見せてもらった。
毎日毎日が、一か八かの賭けで、賭けに勝って歩を進める。
そして、自分の仕事、楽しみを諦めず、あらゆる手を使って継続するのだ。
何とか人生との賭けに勝って、介護する人、される人が共により良き方に向かってほしいと思う。
第三者ではありますが、切に願っています。
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