emilyroom’s diary

徒然なるままにブログ

あしたから出版社   publish

 

 

 あしたから出版社 島田潤一郎(ちくま文庫

 

… 就職はあきらめた。

 本をつくることに決めた。

  

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  本屋さんに本を買いに行くことはあっても、出版したいという発想は持ってなかった。

 本は、どのようにして作られるのか覗いてみようか、くらいの気持ちで読んだ。

 また、何かを始めようとするとき、人はどのように考え、動くのだろうかという興味もあった。

 

 とても良い本だった。何度も泣いた。

 絵本を見ているような気持になることがあった。

 

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解説を書いている頭木弘樹(かしらぎ・ひろき)氏

 『レンブラントの帽子』

 いずれにしても、ぜひ応援したいと思った。

 海外文学好きとしては、こんな嬉しい出版社はない。

 しかし、じきに倒産してしまうだろうなあとも思った。

「ああ、残念だ……」と早くも勝手に残念がったりしていた。

 せめてもできることとして、二冊買った。

 

 『昔日の客』・・・布張りで箔押しがしてある。裏表紙には版画が埋め込んである。

 

 なんてコストのかかることを!

 これはもうつぶれると思った。

 こんなことをして、経営が成り立つわけがない。

 しかし、見事だ!

 こういう本を出してくれる出版社があってほしいと願っていた、

 まさに夢のような出版社だと思った。

 

 この二冊で、伝説を残して、夏葉社は消えていくのだろうと思っていた。

 

 ところが、つぶれないのである。

 それどころか、とてもうまくいっているようなのだ。

 

 営業だった人が、ひとり出版社を始めたというのは、聞いたことがない。

 

 発行部数を決めるときも、あの書店なら何冊売れるはず、この書店なら何冊売ってくれるはずと、実際の書店を頭において、そこから決めるから、売れ残らないというのだ。

 … コペルニクス的転回だ。

 

テレビドラマの脚本家で小説家でもある山田太一

 私たちは、どっかで少数派です。

大多数の人の本やテレビだけでは、飽き足りないものを、誰もが、何か、持っているのではないでしょうか。

 もし、そういうものに答えてくれる本がなくなったら、とてもさびしいと思います。

 

頭木氏

 今や出版の状況は格段に厳しくなっている。

 夏葉社が成功していることが希望だが、島田さんだけに頼ってしまってはひどすぎる。

 いかに夏葉社のような出版社を枯らさずに育て続けていくかは、私たち読者にかかっていると言えるだろう。

 

 決して失うことができないほど大切な人を、失ってしまった人間が、立ち直ることができないまま、どう生きていったのかという人生録でもある。

 

(島田氏)

 

 けれど、新しいぼくは、もう決めた。

 (息子を亡くした)叔父と叔母のために、本をつくる。

 だれがなんといおうとやる。

 あとのことは、やってから考える。

 どうなったて、知らない。

 

 知人は、編集とは実務ではなく、作家や、デザイナー、印刷所などをコーディネートする仕事だと思う、と教えてくれた。

 

 ぼくは、愚直に、文学の読み手が増えれば、世界はもっと豊かになると信じている節がある。

 

 けれど、文学は読まれなくなった、といわれている。

 

 …… ぼくは、みんなが本を読まなくなったとは感じていない。

 

 正確に読めばいいというのではない。知りさえすればいいというのでもない。

 本は情報を伝える媒体というよりも、こころを伝える「もの」であるように思えるのだった。

 

(理想とするような本とは)

 焦がれるもの。思うもの。胸に抱いて、持ち帰りたいようなもの。

 

 好きな作家がいて、ほしい本があって、それをいつか手に入れたいと願う。

 こうしたことが、かけがえのない幸せなのだ。

 

 手に入るか入らないかが、その尺度になるのではなくて、ほしいものがある、好きな人がいるということが、すなわち、生きることではないか、とすら思う。

 

 ピースの又吉さん

 「なにより、むちゃくちゃ本が好きなのが伝わってくる文章なんですよ。絶対本好きな人が作った本ですよね」(『昔日の客』をお勧めの本として挙げて)

 

 二〇〇九年に出版社をやろうと決めたのは、偶然、一編の詩に出会ったからだ。

 嘘のような話だが、本当である。その詩によって、救われたというのではない。

 死別した人を慰めるその一編の詩を、悲しんでいる人に届けたい。

 それが、生きる動機になったのである。

 

 お金がほしいわけではなかった。立派な本をつくりたいというわけではなかった。        

 ぼくは強く生きてみたかった。

 

 本屋さんといわず、すべての小売店が大変なのは当たり前の話なのである。

 その当たり前の話の向こうに、いい換えれば、毎日の葛藤と努力の向こうに、町の本屋さんの面白さ、すばらしさがあるのである。

 

 海文堂書店(神戸の元町商店街 二〇一三年八月五日閉店

 Kさんが、地元紙の神戸新聞で紹介してくれた。

 「夏葉社は若い人が一人で始めたばかりの出版社で、これが刊行一点目だそう。

  いま、外国文学の復刻で本を作るのはとてもたいへんだろう。それでも営業に来たとき、『好きな本を出版していきたい。結婚とかはできないかもしれないけど……』と言っていた。

 これほど本屋の心を打つ営業文句を聞いたことがありますか」 

 

 スマートフォンの登場によって、ガムが売れなくなった…。

 

 つまり、多くの人はガムを食べたくて、ガムに手を伸ばすのではない。

 時間を持て余して、退屈になって、そこで初めてポケットのなかの板ガムに手を伸ばす。

 では、本はどうだろう?

 

 

 ぼくがやっている出版社は、相変わらず、従業員がぼくひとりの、とても小さな出版社だ。

 新刊を出しても、初版の部数は二五〇〇部ほど。

 これをひとりひとりの読者に届ければいい。

 

 お客さんは、マスではなく、顔が見えるひとりひとりの人。

 ぼくにとってのお客さんとは、そういう具体的な人たちだ。

 彼らとのつながりにおいて、「出版不況が…」だとか「スマートフォンが…」だとかいっても、ほとんど意味がない。

 

 ぼくは彼らの信頼を裏切らないように仕事をする。

 彼らが喜んでくれるような本を手渡せるようがんばる。

 

 小さな仕事を全力でやる。

 

 ぼくにとって、本は生活に必要なものだ。

 本がなくても生きていけるが、本があるほうがずっといい。

 

 その意味で、ぼくの仕事のスタートは、自分がそのものをほしいかどうかだ。

 

 「生活必需品」ではないが、ぼくはほしい。ぼくだったら買う。さらに細かいことをいえば、幾らだったら迷わずに買う。

 そういうとこらから自分の仕事を設計しはじめる。

 逆にいえば、その視点がなくなると、商品はどんどん抽象的になる。

 

 夏葉社の本のほとんどは初版二五〇〇部だが、この数字がぼくにとって大切なのは、それがかろうじて具体的な数字であるからだ。

 一万人の読者のことなどわからない。五〇〇〇人もわからない。三〇〇〇人でもあやしい。

 でも、二五〇〇人ならなんとかなるのではないか。

 万人に向けての誠実さでなく、二五〇〇人に向けての誠実さ。

 

 会社を立ち上げたのは三十三歳のときで、いまは四十五歳、もうすぐ四十六歳だ。

 でも考えていることは、十三年前とほとんど変わらない。

 

 目の前の人にたいして誠実であること。

 いまはいない人にたいしても、同じように誠実であること。

 お金を目的にしないこと。

 人によって、態度を変えないこと。

 

 

 🌻 🌻 🌻 🌻 🌻

 

あしたから出版社 (ちくま文庫, し-56-1)

 

 

 

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