…酒も浴びるように飲めば、短歌論では幾度も歴史的な論争をやり、論敵にはまるで鉈(なた)で滅多切りするような痛罵を浴びせたし、自身でも「勇猛」とか「猛烈」という言葉を好んで使っていられた。…
(今、斉藤氏は)
「斉藤脳神経科」の看板がある、2階で病の身を養っていられるのだった。
「面会日、第一第三木曜日、茂吉小人」
「茂吉小人への御面会は五分以内にお願い致します」
寝巻で素足に藁草履の茂吉先生が、奥さんに手を引かれて、ソロソロと歩いて来られた。
「先生、僕は酒田です」と言うと、
「おお、それはおなつかしい。そうですか、そうですか」とまるで古い知己にめぐり会ったように喜ばれた。
先生の故郷は最上川上流の東村山で、
僕は長い間会いたい会いたいと思っていた人の病み衰えた姿を見て、何か胸が一杯で、撮影も思うに任せなかった。
撮影は奥さんとの約束通り五分で打ち切ったが、茂吉先生は何か話したげで、仲々腰を上げられなかった。
奥さんに促されて、ようやく寝床へ戻られたが、それでも応接間を出て行かれる時、駄々っ子のように柱につかまると、「土門さん、他にもう用事はございませんか」と僕の顔を見られるのだった。
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死に近き母に添い寝のしんしんと
遠田のかはづ天に聞ゆる
のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり
『赤光』
ゆふされば大根の葉にふる時雨
いたく寂しく降りにけるかも
『あらたま』
うつせみの吾が居たりけり雪つもる
あがたのまほら冬のはての日
『白き山』
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伊藤左千夫門下。
大正から昭和前記にかけて活躍したアララギの中心人物。
精神科医として、青山脳病院の院長を務めた。
長男は精神科医で随筆家の斉藤茂太
孫は随筆家の斉藤由香
(ウィキペディア)
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「論敵にはまるで鉈で滅多切りにするような痛罵を浴びせた」と言われた斉藤茂吉氏。
この写真を見て、私も「胸が一杯になった」
決して忘れられない一枚となった。
青山脳病院の先生は、さわやかに天上に登って行かれたのだろうか?
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