今時の「いじめ」の酷さには言葉を失う。
「いじめ」られた側が、「死ぬまで許さん」といっても納得いくような惨たらしさがある。
昭和の人間は、「いじめ」といっても、逃げ道を残した喧嘩としか考えられない。
「それはやりすぎだ」とガキ大将が止めるもんだ、と聞いていた。
今は、肉体はおろか精神まで破戒せずにはおかないという「いじめ」。
被害者に与えたダメージの深さが、加害者側に「立ち直り」を許さない、許せないという思いになり、感情の負の連鎖となっている。どちらも救われない。
と、昭和生まれは考える。
日本の教育はどうなってしまったのか?、子どもたちの未来はあるのか?と思ってしまう。
勉学に、スポーツに励まなければならない年齢に何ということだろうか!
教育についていろいろと問題があるといわれて久しい。
動画では、日本の民度の高さが世界から評価されているが、これから先も維持できるのか心配だ。
内村鑑三著「代表的日本人」の中に、「中江藤樹 ー 村の先生」というのを見つけた。
学校教育を西欧と比較して、日本の教育は素晴らしいと褒めている。
昔の日本の教育
私どもが母国を離れ、はじめて西洋の文明人のなかに立ちまじったとき、
西洋人「…… 日本人諸君は異教徒にしてはもっとも賢明な国民にみえる。今日の諸君があるには、さぞかし道徳的、知的な教育を受けてきたにちがいない」
私どもの答え「そう。私どもには学校教育があった。それもなかなかのものだ。
私どもは『十戒』のうち少なくとも八戒は、母に膝にいる間に父の口から学んでいるのである。
力は正義ではないこと、
天地は利己主義の上に成り 立ってはいないこと
泥棒はいかなるものでもよろしくないこと
生命や財産は、結局のところ私どもにとり、最終目的にはならないこと
その他多くのことを知った。
学校もあり教師もいたが、それは諸君の大いなる西洋にみられ、今日我が国でも模倣しているような学校教育とは、まったくちがったものである。
まず第一に、私どもは、学校を知的修練の売り場とは決して考えなかった。修練を積めば生活費が稼げるようになるとの目的で、学校に行かされたのではなく、真の人間になるためだった。
私どもは、それを真の人、君子と称した。
英語でいうジェントルマンに近い。
さらに私どもは、同時に多くの異なる科目を教えられることはなかった。
私どもの頭脳が二葉しかないことには変わりなく、沢山はないのである。
昔の教師は、わずかな年月に全知識を詰め込んではならないと考えていたのである。
(これは賢明なことと思う・内村鑑三)
これが私どもの昔の教育制度のすぐれた特徴の一つだった。
「歴史」「詩」「礼儀作法」もある程度教えられたが、おもに教えられたのは「道徳」、それも実践的道徳であった。
観念的、あるいは神智学的、神学的な道徳は、私どもの学校では決して強いられなかった。……。
だが、下界の平野に住み、人間の実際問題とつきあわなくてはならない私どもには、そのような問題にわずらわされる必要はなかった。
・・・
学校には、他の国でよくみられるような教派上の争いはなかった。
これも私どもの昔の教育制度が持っていた、別のよい特徴の一つである。
さらに私どもは、クラスに分けて教えられることもなかった。
魂をもつ人間をオーストラリアの牧場の羊のようにクラスに分けるようなことは、昔の学校では見られなかった。
人間は分類してまとめることのできないもの、一人一人、それぞれのもつ肉体的、知的、霊的な特性にしたがって教えたのである。
教師は私どもの名をそれぞれ把握していたのである。
ロバと馬とが決して同じ引き具を着けられることはなかったので、ロバが叩きのめされて愚かになる恐れもなければ、馬が駆使されるあまり秀才の早死に終わる心肺もなかった。
現代にみられるような適者生存の原理にもとづく教育制度は、寛大で人を愛する君子(gentleman)の養成にはむいていないように思われた。
…
この点に関しては、私どもの昔の先生は、教育理論のうえではソクラテスやプラトンと同意見だった。
・・・
先に生まれたことを意味する「センセイ」と呼んだ。
この世に生まれた時点で先ー必ずしもそうでないこともあったがーであるのみならず、真理を先に了解した点で、先に生まれたことになるからである。
その結果、センセイには最高の尊敬が払われていた。
実にセンセイと両親とキミ(主君)とは、深い尊敬をはらうべき対象の三位一体をなしていた。
・・・
私どもの頭のなかには、このセンセイとデシとの関係があったから、キリスト教の聖書にみられる師と弟子との親密な関係を、ただちに解することができたものもあったのである。
…
師とはただの教授であり、弟子とはただの学生としか念頭にないキリスト教徒が、私どもに教えようとする聖書の教えをはたして理解できているものか、怪しいものだとよく思ったのである。
と、内村鑑三は西欧の教育より、日本の教育が優れているとキリスト教の「本場」で語っている。
「あまり歓迎されなかった」らしい。
後に本はよく読まれ大ベストセラーになった。
中江藤樹という人
孔子「大学」に書いてある
天子から庶民にいたるまで、人の第一の目的とすべきは生活を正すことにある
を読んで叫んだ。
「このような本があるとは。天に感謝する」
「聖人たらんとして成りえないことがあろうか!」
「仏陀は生まれると、一方の手は天を、他方の手は地を指し、天上天下唯我独尊といったとお聞きしました。こんな高慢な人間が天下にいるでしょうか。…」
と質問した。
孔子「四書」を十四歳の時に手に入れる。
王陽明 孔子の内にあった進歩性を展開させ、まちがって孔子を解しがちな人々に希望を吹き込んだ
近江の聖人は実践的な人になる
サムライの本分は戦いとされた時代
母親崇拝
藤樹の天国は母の笑顔のなかにあり、母の笑顔にまさる貴重なものはありませんでした。
近江の聖人
二十八歳になったとき、行商をやめて学校を開く
中国の古典、歴史、作詩、書道が授業科目のすべて
ささやかで、目には見えない事業、学校教育とはそういうものであります。
徳と感化に関しては、お手軽に教えられている現代の教育制度によるかぎり、私どものなかにはびこる俗悪を、はたしてよく抑えることが可能かどうか、疑問であります。
村人の言葉
「この村の近くでも、父は子にやさしく、子は父に孝養をつくし、兄弟はたがいに仲良くしています。家では怒声は聞かれず、だれもが穏やかな顔つきをしています。これはすべて藤樹先生の教えと後世に遺された感化のたまものです。私どもだれもが、先生の名は感謝をもって崇めています」
現代の私どもは、「感化」を及ぼそうとして、太鼓を叩き、ラッパを鳴らし、新聞広告を用いるなど大騒ぎをしますが、真の感化とはなんであるか、この人物に学ぶがよろしいでしょう。
・・・・・
外国人観光客が驚く日本の「おもてなし」の元はここにあった。
日本では、昔から道徳、人の道について教えられてきた。
お金や名誉よりも大切であると言われて育ってきた。
近頃は、若干怪しいと思われるが…。
世界から尊敬される日本の民度は今や危機に瀕しているのではないか、
「いじめ」の壮絶さはどこからきているのか、
と考えると教育ということに行きつく。
近代といわれる以前に日本にあった教育制度について考え直してみたらどうだろうかと思いついた次第です。
内村鑑三氏は、白人社会に喧嘩を売りにいったのか?
折しも、アメリカのドラマで「SHOGUN将軍」が話題になっている。
キリスト教の本場で、なぜほとんどの日本人はキリスト教に改宗しなかったかを教えているらしい。
そして、日本人が、ザビエル達にキリスト教の教えについて、いろいろ質問して困らせたという話を思い出した。
日本人は、好奇心旺盛で、分からないことは率先して質問をする民族らしい。
「マリア様は本当に処女だったのか?」などしつこく聞いたらしい。
「日出る処の天子、書を、日歿する処の天子に致す。恙無きや」という文書に始まり、昔から日本人は他国とのつき合いには、堂々としていた。
相手にたいして堂々と渡り合う姿は、誇らしいものだ。
私たちは、いつの間にか忘れてはいないだろうか?
道徳を規範の中心に置いて学問をすることの大事さを今一度思い出したいと思う。
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