日本は
百年前までは子供にとっては地獄だった
豊臣秀吉は、
日本人を奴隷売買していることを知り、キリスト教を禁止し、宣教師たちを追放したことはよく知られている。
が、宣教師たちが育児院をつくり子供たちの命を救っていたことはあまり知られていないように思う。
…子供の天国である日本は、少なくとも百年前までは…子供の地獄でもあった…
フランシスコ・ザビエルが、はじめてキリスト教を伝えたころ、日本人が犯している大きな罪悪として次の三つを挙げている。
第一は偶像を崇拝していることである。
第二は男色の風習、これはとくに仏寺で、また武士の間で、そのころ行われていた。
そして第三は女性が生まれた子どもを殺す風習である。
ザビエルの後につづいた宣教師たちも、生まれた子どもを平気で殺してしまう風習がひろく行われていることにさすがに驚いて布教に当たってはそのことをきびしく戒めその阻止に力をつくした。
ヨーロッパでは嬰児が生まれてから殺されるということはめったにない。というよりは全くない。
日本の女性は育てていくことができないと思うと、みんなのどの上に足をのせて殺してしまう。
ヨーロッパでは生まれる子どもを堕胎することはめったにない。
日本ではきわめてふつうのことで、20回も堕胎した女性があるほどであると書いている。
教会がその社会事業の一つとして育児院を設け、殺したり捨てたりするような子どもを引きとって、養育したのも、こうした風習を防止するためだった。
仏教とちがってキリスト教の信徒に対する戒律はきびしかったから、その信仰がひろまった地方では当然生まれた子を殺すようなことは跡を絶ったにちがいない。
信徒の組織であった組の規則の中に、「子を殺すかおろすこと」が除名の条件となっている例もある。
…… この間引きの風習が江戸時代農村でひろく行われていたことについては多くの文献が物語っている。
とくに凶作や飢饉の時に行われたというわけではない。
きびしい搾取と誅求のもとで農民の生活はいつも窮迫していたため、それは生きていくためのやむを得ない処置だったから罪悪感はなかったし、また法律的にも殺人行為として禁止されることはなかった。
情深い名君が、生まれた子に養育費を与えたり、子供の数の多い農家に米を配給したりする育児政策をとったことはよく知られているが、
生まれた子を殺す風習がさかんになれば当然農村人口が激減することをおそれたのである。
仏教も手をこまねていたわけではなかった。
越後では、
一向宗の信仰がさかんで、その悪習を戒めたため、農民が9人、10人と子どもをもつのがふつうだったといわれているが、米どころのことだけに信仰のためばかりではなかったろう。……
キリスト教は、奴隷売買とともに日本に入ってきたが、「貧しさ」ゆえに闇に葬られようとする命を救おうとしたことに人間の不思議さをみる。
「禍福はあざなえる縄のごとし」というべきか・・・
人間も、歴史も多角的に見なければならないことを教えられる。
最近、子供の虐待が報じられ、
「この子たちは、何のため生まれてきたのだろうか」と思わされる悲痛な事件が多い。
今も昔も、弱いものに矛先が向けられる。
現代は、少しはましになったと思いたいが、比率としては同じなのではないかと感じているが、どうなのだろうか?
法律的に社会的に罰せられないからといって、命を粗末にしてはいけないということを教えたのは「宗教」だった。
人には、「宗教」あるいは「道徳」と呼ばれる、精神的支柱が必要なことを物語っているのではないだろうか。
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月間 歴史と旅 昭和49年11月号
茶の間のミニ歴史 岡田章雄(おかだあきお)青山学院大学教授
「子どもの天国と地獄」より
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