emilyroom’s diary

徒然なるままにブログ

オニババ化する女たち 

オバタリアンの成れの果てがオニババですか?

 

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「オニババ化する女たち」

     女性の身体性を取り戻す   

   三砂(みさご)ちづる 著 

    (光文社新書

                             ◇◇◇◇◇◇◇

 

なぜオニババになるのか

 オバタリアンとは?

 『オバタリアン』(竹書房

  1988年(昭和63年)から1998年(平成10年)にかけて刊行された、

  堀田かつひこの4コマ漫画

  この作品から派生して

  あつかましい中年女性を

  「オバタリアン」と呼ぶ     (ウイキペディア)

 

       ☘ わ~、懐かしいことば!

 

 日本昔話には、オニババ山姥(やまんば)が出てきます。

 たとえば、

 山にひとりで住む山姥が、ときおり道に迷った小僧さんを夜中に襲う話があります。

 「ざらんざらん、ぺろんぺろんと小僧さんの尻をなめた」という表現が、子供向けの絵本に出てきて、ぎょっとしたのを覚えています。

 

  あれは、社会のなかで適切な役割を与えられない独身の更年期女性が、山に籠もるしかなくなり、オニババとなり、

 ときおり「エネルギー」の行き場を求めて、若い男を襲うしかないという話だった、と私はとらえています。

 

  私は長い間、日本や外国の研究機関で、母子保健、女性のリプロダクティブヘルスといった仕事に関わってきました。

 

 女性として生まれてきたからには、

自分の性、つまり月経や、性経験、出産といった自らの女性性に向き合うことが大切にされないと、

ある時期に人としてとてもつらいことになるのではないか、

ということです。

オニババ化への道です。

 

戦後の暮らしで、経済的には少しずつ恵まれ、理不尽なことも少しずつ減る方向にあったはずの彼女たちの人生で、何か根本的なものが満たされていない、と感じられるのです。

どうやら、今の六十代、七十代の日本の女性あたりから、性と生殖、女性の身体性への軽視が始まったのではないでしょうか。

 

   ☘ この本の出版は2004年、

      約20年前です。

      ということは、

      今の80代、90代と考えたらいいのでしょうか……。

 

この六十代、七十代の女性は、自分がすでに子供を産んでしまってから、フェミニズムに出会っています。

 

「産んでも倦まなくてもあるがままの私として認めてほしい」

「女性も社会参加を」

 

= 女性も結婚するだけではない、自分の思うように翼を広げてのびのびと生きていってもよい =

 

という発想に、多くの女性が共感し、また励まされたことでしょう。

 

同時に

「勝手に生きていく」娘は、自分の人生でできなかったことを思い起こさせる存在でもあったでしょう。

 母親は娘の社会的成功、活躍を願っているようで、同時にどこか受け入れられないところもあるーー

 矛盾に満ちた母親の思いを、娘たちは敏感に感じ取っています。

  

 母親から

「結婚しても何もいいことはない」

「女であっても、経済的に自立することはたいせつだ」

「自分でお金を稼げたら結婚なんてしなくてもよい」

「子どもなど持たなくてもいい」

「自分がしてきたのは我慢だけだ」

というメッセージを、あるときは言葉で、またあるときは言外のメッセージとして受け取っていることがとても多いのです。

 

女性としてのからだのありようについて、娘たちに肯定的なことを伝えることができなかったこの世代。

 

彼女たちの母親世代(現在子供を産む世代の祖母の世代)から彼女たちに伝承されるべきであった何かが、おそらくここで失われてしまったのです。

 

これは今思えば、仕方のなかったことなのでしょう。 (略)

 

ただ確実なのは、このような変化を通じて

「受け止める存在」であった母親像が崩れてきた、ということなのです。

 

私は、「他者を受け止めることのできる力」というのは、

月経や性、そして出産を豊かに経験することで次第に身に付いてくるものだと思っています。

 

ところが、それらの体験の重要性は、すっかり忘れ去られてしまいました。

 

 女性として生きるためのさまざまな身体知は、

親から子へと伝承されていたはずです。

それらの知恵は、果たしてどこにいってしまったのでしょう。

 

お産の分野では、

医療管理中心のお産よりも、

自らの持つからだの能力を生かせるような、

自然なお産自然な子育てを後押しする科学的調査の結果がたくさん出てきています。

 

カンガルーケア

 南米のコロンビアで始まった、未熟児の赤ちゃんをお母さんのふところに入れ肌と肌をくっつけて保温する方法でした。

 

未熟児用の保育器が十分にない発展途上国を中心に広がっていきます

 

このケアを体験した母子をみてみると

母親の側は子供への思いがよりいっそう深くなり、

子どものほうも保育器に入っていた子どもよりも元気に育つことがわかりました。

 

アメリカでは

未熟児以外の赤ちゃんにも適用されるようになったのです。

 

子どもは

できるだけお母さんと離さないほうがよい

おっぱいは赤ちゃんが欲しがるだけ、何度でも与えるほうがいい ーー

 

昔の日本女性ならふつうにおこなっていたことのようです。

    ☘ 確かに、こんな光景を見た覚えがあります。まあ、良い意味で「母子密着」です。

 

子どもはもうかわいくて、かわいくて仕方がなかったそうです。

    ☘ 鼻水も舐めてふき取っていたとか……。

 

 (埼玉県名栗村での調査)

お産のときは、病院も産婆さんいなかったので、一人で産んでいたそうです。

 

お産は女性のからだにとって特別でもなんでもない、当たり前のことで、

お腹が痛くなると紐とはさみを用意して、一人で産んでいたといいます。

 

産婆さんは、逆子のときなど、どうしても助けが要るというときに、呼びに行ったものだそうです。

 

おっぱい(母乳)なんかみんな出てました。

  (今に比べると質素な食事だったにもかかわらず…)

 

戦前と戦後で子育てにギャップが生まれた

 

心に届かない近代医療の「知識」

 

性に関することは、少なくとも数十年前までは、

上の世代から、下の世代に

「教えられるもの」「受け継がれる」ものであった。

 

私たちはからだについて、

上の世代からほとんど何も習っていない、ことに気づきます。

 

 『夜這いの民俗学』(赤松啓介著・民俗学者

日本の多くのムラでは、

おおむね十三歳を契機に、性に関する知恵を実地教育というかたちで伝承していたといいます。

 

 少なくとも数十年前までは、

確実に、上の世代から下の世代に

「教えられるもの」「受け継がれるもの」であったということです。

 

それらは、共同体の中でかなり重要な行事として行われていたのです。

 

今、保健医療の現場では、

「健康教育は知識は増やすけれども、行動の変容は生み出さない」

と言われています。

 

「女性の保健」

 

「医療が女性のからだを管理するモデル」

「女性が自分のからだに向き合うようなモデル」の 2つがあります。

 

 

「女性の健康」「ウィメンズヘルス」

ジェンダー・スペシフィック・メディシン」(女性に特化した医療)では、

 「医療がどうやって女性のからだをよりよく管理できるか」という発想

 

 「女性が自分のからだに向き合うようなモデル」とは、

「自分の排卵がわかるように」

「子宮の動きに留意して」

 

 

 女性は実際には、長い間、医療なしでも自分のからだに向き合って暮らせていたはずなのです。

 

 いったいどうなってしまったのでしょうか。

 

助産院などで自然な出産を経験した女性は、もちろん痛みも感じるのですが、

「ああ、気持ちがよかった、また、産みたい」と産後すぐに言うことが多いのです。

 

     ☘ そういえば、私も産む直前まで産むのコリゴリと思っていたのに、また産んでもいいかなという気持ちに変わりました。新しい命に感動しました。私の周りも同じでした。

ただ、病院で産みましたが…。

 

 

無痛分娩

「女性だけが痛い思いをするのは理不尽である」

→ アメリカを中心に 硬膜外麻酔による無痛分娩が促進されました。

痛みを感じなければそれでいいのでしょうか。

 

 

「女性が自らからだに向き合うようなモデル」がある。

 女性から女性へ、世代を経て手渡されてきた知恵

 

ポリネシアの驚くべき避妊法

 あるポリネシアの島では、以前、

思春期のうちはほとんどフリーセックスだったそうです。

不特定多数のボーイフレンドがいる。

いわゆる結婚前の性的関係が認められていたわけですが、

この期間、女の子たちが妊娠することはなかったといいます。

しかし「この人と結婚する」と決めたら、すぐに妊娠して子供ができたのだそうです。

 

おそらくは

排卵日を知る」ということが知恵として代々伝承されていたらしいのです。

「自分のからだに注意を払う習慣がついていれば、排卵の日がわかる」ということが伝えられていたのでしょう。

 

日本の女性でも、

自分の排卵日がわかる、という人は少なくありません。

「なんとなく鈍い痛みを感じるから、だいたい今日だというふうに漠然とわかる」

「今月は右の卵巣から排卵した」と秒単位で正確に排卵を認識できる人もいます。

 

おそらくこういった能力は、もともと動物としての人間には備わっていたに違いありません。

 

「もともと排卵はわかるものだったが、関係性の強化のために、わざとわからないふりをした」(女性が安定したパートナー関係を維持するために)ため、

排卵日が認識されなくなったと解釈している方もいます。

 

 私たちが思春期の子供たち、次の世代の女性たちに手渡さなければならないものは、

いつ排卵があるのか、そしてそれにどうやって気づくのか、というような

からだの知恵なんだと思います。

 

 

インディオは、更年期を楽しみにしている

閉経後にこそ女性の性活動が活発になっているらしいのです。

 

更年期の女性が、

特別な神事やまつりごとをつかさどったり、今までとは違う役割を担ったりする。

精神的高揚を伴うような生き生きとした活動に積極的に参加してもらうことで、

年齢として女性ホルモンの分泌が下がっていくところに、

なんらかのかたちで女性ホルモンを活性化させる、

そんな仕組みがあったのではないかと思います。

 

日本にも

後家や中年女性が若い男子の性の実地教育にたずさわるケースが少なからずあったようです。

更年期女性のエネルギーを適切に使おうとしたのでしょう。

さもないと、中年女性は「オニババ」と化すと思われていたのではないでしょうか。

 

今の日本では、更年期女性のエネルギーは行き場をなくしているように思います。

 

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オニババ予備軍はどこにいくのでしょうか?

 

「世代をつないでいくことの喜び」を知り

「子どもを産む」「早く産む」

45歳くらいは、一番仕事ができる盛りの年齢

出産、育児の時期は仕事の量を減らすーー仕事をすることをキープする

~ いまの社会構造とのつながりを切らない ~

大人になる楽しみを教えよう

独身女でも次の世代に伝えられることがある(斜めの関係)

~ 子供がいなくても、伝えられることがある安心感 ~ を得る

 

と、いうところでしょうか?

だいぶスッ飛ばしてますが……。

 

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オバタリアン(3) (バンブーコミックス 4コマセレクション)

 

オニババ化する女たち 女性の身体性を取り戻す (光文社新書)

 

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小雨の伊勢神宮にて