罪を憎んで、人を憎まず とは
人間の争い事を解決する方法として、「人を憎まず」「許す」ことで際限の無い感情の嵐を治めようとしたのではないかと考えた。
「これが、あなたを生かす道です」と言って、賢い長はもめ事を治めてきたのだろうか。
「人を憎まず」という選択は、自分の道徳的規範を示す=人間としての在り方を実践するということだと思う。
もめ事の決着を、人間の道徳的在り方で実践します、と「神」、「心」、「太陽」、「ご先祖様」などなど、自分の信じるものに約束する行為ではないだろうか。
「神」は、相手を憎み復讐する選択をしても何も言われないだろう。(と、私は思う)
「罪を許す」ことは、自分の命を守ることであり、自分の尊厳を守ることである。
この世で人間の崇高さを実現する機会なのだ。
心底「許す」ことはできなくても、そのように振る舞うことでも「神」は、喜ばれると思う。
(私の勝手な解釈です)
「私は、私の宝である娘を殺したあの人を法の裁きに任せます。他は私の神に任せます」と言うに等しい。
この世は、あまりに残酷な事件が多く、書いていても震えがくるような行為が存在する。
綺麗事など言えない。
私は、この様な心境になれるか自信がない。ただ、こうありたいと思うだけかも知れない。
そうであっても、正しい道徳的在り方を実践する人の邪魔はしないように心掛けるだろう。
未熟な私はせめて、それだけでもできたらいい方かも知れない。
「罪を憎んで、人を憎まず」について書いたあと、「許し」は、自分を生かす祈りの様な行為であると同時に人間の素晴らしさを示すものではないかと思った。
急ぎ、パート2を加えた理由です。