『山本作兵衛と炭鉱の記録』をご存じでしょうか?
どこで見たのか覚えていないのですが、一目見たときから忘れられない絵となりました。
素人くさくて、でも力強くて、どこかユーモラスで、エロティックな感じもありました。
偶然本屋さんで見つけたときは、「お前さん、ここにいたのかい」とばかりに本を掴んでレジに走りました。
この本は、山本氏だけでなく、他の炭鉱画家の画も載っています。
この時代の炭鉱の様子がフィルムにも残されていることがわかります。
作兵衛氏は、
片言交じりで
恥ずかしいのもかえりみず、
絵や文にしたのは
数百年後の子孫のため、
明治、大正、昭和の
ヤマはこうだったと
いっておきたかったからです。
と、書いておられる。
まず、驚くのは、女も多少の配慮はあったかもしれませんが、同じように働いていることです。働く男性の隣にはだいたい女性がいて、同じような仕事をしています。
≪唐津下罪人のスラ曳く姿 江戸の絵描きも描きゃきらぬ≫
バラスラ(の項では)
卸し切羽(おろしきりは:下り傾斜の採炭現場)は出水が多く、木製のスラ(運搬用具)は水を吸って重くなるので、竹で編んだスラ(バラスラ)を使用する。底部には幅の広い二本の竹製ソリが盗り付けられている。
スラ街道には梯子状にコロが敷設されているが、盤の堅い(坑道の地盤がしっかりしている)ところにはない。女の後山は約百キロの荷を曳いて、暗い坑道を這いあがる。
「唐津下罪人(げざいにん)のスラ曳く姿 江戸の絵描きも描きゃきらぬ」とうたわれた姿である。
お風呂は混浴! 日本は昔からそうでしたね。ヤマでも同じ!?
ヤマの浴場
男女混浴の風呂。小ヤマでは昭和初期まで混浴のところがあったという。異性の裸体を楽しませるために混浴したのではなく、浴槽などの設備費を抑えるためであることは言うまでもない。
絵中の説明にあるとおり、藍瓶のように濁り汚れた風呂であるが、これは一般の坑夫・婦用。職員など上役は当然のように、もっときれいな風呂に入っている。また作兵衛の絵にはないが、特殊風呂という名の、被差別部落の人々専用の風呂があった事実も忘れてはならない。いわれなき差別は、地の底までもつきまとう。
ここにも、家庭があった。子供がおり、赤ん坊がいた。
明治 ヤマの抗夫ナヤ
ナヤ(納屋)とは抗夫の住宅のこと。「同じように働いているのに、なぜ男だけが先に酒なんか飲んでいるの。許せない!」と怒った人がいたが、絵に添えられた文章
「女房後山は入浴もソコソコ、炊事に大わらわ。子供のおるものは尚多忙」
からは、そんな女房たちへのねぎらいと敬意が感じられる。
そして一見男に抑圧されているようでも、後山たちからの聞き書きなどを読めば、見栄やカラ元気の男たちより、ずっと肝の据わったヤマの女たちなのであった。
「うちは忙しいとよ! あんたは大人しゅう、一人で酒でも飲みよきなさい!」くらいのことは言ってのけたであろう。
・・・・・
山本作兵衛氏 以外の お名前は、
原田大鳳、山近剛太郎、島津輝雄、井上為次郎 となっています。
当時の写真、フィルムも載っています。
ぜひ、その目で確かめてください。
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