「せっかくの思想」(料理番組)
東海林さだお氏の本は、大好きだ。
「ショージ君の『ナンデカ?』の発想」の中の料理番組のところで、「せっかくの思想」に、ハッとした。
石油ストーブを思い出した。
仕事をするようになって、ガスストーブに変えたので、私には大分昔の話になる。
東海林氏が言うには、料理番組はせわしない。
出演者は常にあせっていて、司会者は常にせかしているそうだ。
「そういえばそうだ」と私も相槌を打つ。
二十五分もあるとしたら、心静かにゆっくり一品作れるはずだ。
なのに「酒の肴」を七種類作ってしまっている。
なぜこんなことになってしまうのか?
ぼくは日本人の、「せっかくの思想」を指摘したいと言われる。
せっかく二十五分もあるのだから、
せっかくタレントを呼んだのだから、
せっかく料理人を呼んだからには、
という考えがあるそうだ。
確かに、私たちも普通に考えそうなことだ。
で、年七十過ぎの私は気が付いた。
私も「せっかくの思想」が好きだ。
でも、私の場合は、老化を図るモノサシとして使うことが多い。
「料理」は、〈せっかくだから〉で成り立っている。
米を研いで、ナベを火にかけて、冷蔵庫から野菜を取り出して…。使うもの、使わないもの、後に回すものと、たし算、引き算、割り算して材料を揃える。
そして、何とか料理が出来上がる。ま、私好みの味に出来ている。
一人で、まだまだイケる、認知症は大丈夫、と安堵する。
年を取るとこんな生活ではないでしょうか?
そして、石油ストーブ。
あれは、便利だった。
お茶を沸かし、カレーを温め、部屋も温まる。
「せっかくだから」のオンパレードだ。
石油ストーブの上に サツマイモを置いておくと、うまいこと焼き上がる。夜勤日の楽しみだった。
欧米の暖炉のある暮らしも、同じだったようだ。鍋を掛けて、料理を作る、温める。手紙を読むなど、日本に劣らず、さまざまな使い方がされている。
「せっかくの思想」は、今でいうマルチタスクのことではないか?
そして、人は「合理化」が好き。
時間を合理的に使って、「儲かった」の気持ちが心を暖かくする。(少なくとも私の場合は)
「せっかくの思想」が、認知症の計測、及び予防に役立っているとは
東海林氏もビックリ。
しかし、東海林氏の言わんとする所は、
日本もせっかく先進国中の先進国になったのだから、そろそろ「せっかくの思想」から抜け出そうではありませんか、だ。
せっかく余白があるのだから、「一口知識」とか、
せっかくデモ行進するのだから、「生活向上ベースアップ」と決まったところで「反動中曽根内閣打倒」「アフリカ・エチオピア飢餓救済」「定年制延長」も付け加えるとか、
こんな「せっかくの思想」から抜け出そうではありませんか、
先進国としての余裕を忘れるなと訴えておられる。
マルチタスクで、作業を合理的に行うことは悪いことではないと思う。でも、品性を欠くようなことはやめましょうね、ということだと思う。
「せっかくの思想」に刺激されて、あれこれ考えてみました。☕
