emilyroom’s diary

徒然なるままにブログ

孤独死は悲しい?

ひとり暮らしの高齢者が増えている昨今、「孤独死」について考えてみました。

 

孤独死とは?

 主に一人暮らしの人が誰にも気づかれることなく亡くなり、長期間それに気づかれない状態を指します。

 発見されるまでの平均期間は、3日以内に発見される割合:男性38.4%、女性50.1%で、女性の方が早く発見される傾向にあります。

 しかし、30%以上は15日以上経過してから発見されており、90日以上発見されない割合も1%以上あるという報告もあります。…

          ・・・「AIによる概要」から・・・

 

◇「孤独死」の捉え方

 

★ 家族や友人知人は、

「母は病院で、夜中、誰にも気づかれないで、亡くなってしまいました。本当は家族に看取られて亡くなりたかったのでしょうか」

 

★ 医師の考え

 亡くなる間際は意識が低下するので、怖いとか、寂しいなどの感情は無くなると思います。

 ですから仮に「もうすぐ死ぬ」と自覚できたとしても、元気な人のように感情が乱れることは無いでしょう。

 

 それは、事件や事故などで急に亡くなった場合も同じです。

 遺族の方は「怖かっただろうに」「痛かっただろうに」「苦しかっただろうに」と亡くなった人の感情を推測します。

しかし、それも一瞬のことなので、魂が身体からするっと抜けたら、まさに自由になるのです。

 自分の経験上からも言えますが、魂は痛みも苦しみも感じません

 

 これを聞いて少しは気が楽になりましたか?

 

   咳き込んだり、体を動かしたりしたら、苦しいのだろうか? 何か言いたいことがあるのだろうか?と気になってしまいます。

 それを聞いて、少し気が楽になりました。

 

今後独居のお年寄りが増えること、「死」は、日常生活の延長線上にあることをいやでも考えさせられます。

  

◇ 今後、増えていく独居のお年寄りについての政府の考え

 

厚生労働省の方針

 地域包括ケアシステムを構築して、それぞれの地域で高齢者が暮らせるように促しています

 改善の見込みのない方や認知症の方は病院に長期入院していることはできない。

 ⇒ 在宅医療の必要

 しかしながら、 

  在宅医療をしてくれるクリニックは少ない

 

在宅医療をしてくれる「かかりつけ医」に期待すること

 ① 治療が見込めなくなった場合に、緩和治療をしてくれること

 ② 死亡診断書を書いてもらうこと

 

医療に無縁なまま家で亡くなると、結果的に警察の厄介になる。死因が特定できなければ場合により法医解剖をされたり、家族が警察に事情聴取されたりして大事になる

かかりつけ医がいれば、訪問診療の記録もあり、その病気で亡くなったことが明らか、あるいは老衰であれば、かかりつけ医が看取っていなくても、死亡診断書を書いてもらうことができます。

 

 最後まで病院に行かず、家で生活をし続け、自宅で死を迎える生き方を選ぶ人がこれからは多くなると考えられます。

 

 お年寄りの一人暮らし  矢作先生のお母さまの場合

  子供と離れて、ひとり暮らしを選ばれました。

  荷物は元の家にほとんど置いてきて、必要最低限のものだけ持って来られました。

  1年前に交通事故に遭い、足腰が弱っていました。 

  南向きの1Kのアパートに引っ越されます。

  目を悪くして、本もあまり読めなくなったのにテレビも持って来られませんでした。

 

  ゆっくり歩いて買い物へ行って、自分で調理してそれを食べ、洗濯や掃除をして、   夜は風呂へ入って寝ます。

 

入浴中亡くなっておられました。

 

81才

 

先生は、もう少し早く気づいてあげたかったと思われました。

毎晩、「申し訳ありませんでした」という気持ちで、手を合わせておられました。

2年後お母様の霊と話すことができたとき、

お母様は、

「心配させてごめんなさい」

「ずっと見ていた」

「こちらの居心地はいい」

と、伝えて来られました。

 

 その体験以来、本当に「死ぬこと」はなにも心配いらないということを実感しています、とのことです。

 

先生のお母さまの凛とした生き方は、良いお手本になります。

 

これからは、

高齢化社会は多死社会

今までのような医療や介護は、当てにできなくなります。

私たちは、

「医療や介護のお世話にならない」と意識を変えざるを得なくなります。

 

 

・・・・・・・・・・・☕     ・・・・・・・・・・

 

日本には、

 死期が近いと思われる人と起居を共にする、という習慣があると聞いたことがあります。

その人の死を見届ける、やさしい思いやりのように思いました。

 

 今では、ほとんど夢物語といわれるかもしれません。

 

 少し違うかもしれませんが、私は、母の最期の1ヵ月を病院に泊まりこんで見送った経験があります。

 ベッドの横に1畳弱くらいの板があってそこで寝起きができるようになっていました。

病院で寝起きして看病しているということで、皆がとっかえひっかえ差し入れをしてくれるので、帰る時は、ふっくら太っていた、という恥ずかしい思い出があります。

本当に看病に行ったのかと疑われないかと心配しました。

 仕事を休んで来た、ということで生活費を皆で出してくれた。これはありがたかったです。

 今はもう、泊まり込むということはできないかも知れません。

 

・・・・・・・・・・     ・・・・・・・・・

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・「孤立死