「続々 岸惠子語録」
「孤独という道づれ」(幻冬舎文庫)より
私の人生、並みではなかった、というか現在進行中でもある背負いきれないほどの艱難辛苦(古い言葉!)をもてあまし気味に、もう、いいよ、疲れたよ、とも思う。
エピローグ から
わたしが、数年来、よけられる言葉の決定版はこんな風である。
「お若く見えるわ!」
「若く見えているんじゃないの。若いの!」
相手はきょとんとする。
追い打ちをかけるようにわたしは言う。
「何もかも一人でやっているわたしには、山ほどの苦労があって、皆様のように幸せな皺を刻んでいる暇などないの」
相手はますます怪訝な顔をする。
「傍らに夫という人がいて、おおぜいの子や孫たちに囲まれて、たまには家族そろって温泉旅行なんていう日々が続いていれば、皺も増えるわよ」
「えっ……?」
「つまりなんにも受信していないということ。受信機は壊れ、発信する機能もない。世の中のことに耳をそばだて、眼をこらす必要も感じない。そんな風に生温いしあわせな環境は、逆に皺の温床だと思うの」
「へっ……?」
というような相手の不可解な顔を見て、わたしはちょっと言い過ぎかなと反省する。
「皺はわたしにもいっぱいあるのよ。それを目立たせない力がわたしにはあるかもしれない」
相手は次第に胡散臭そうな目でわたしを見、うっすら笑いをうかべる。
「受けた傷や、躓きを自分で治すのよ。へこたれないのよ。誰かに頼ったりしないのよ。そんな生活をしているわたしは年を取っている暇なんかないのよ」
このへんで相手は不承不承なっとく気味の表情になる。
「つまり、強いんですねー」
「強くはない。でも絶対に弱くはない」
このあたりで、たいていの相手はうんざりしてわたしとの問答をあきらめる。
もうひとつ、わたしを逆上させる言葉がある。しかも親しい友人たちでさえ発する誉め言葉のつもりらしい侮辱語である。
「わっ、いつまでも若いわねえ、お化けみたい」と女友達。
「わっ、化け物だよっ」は、男の知り合い達。
顔で笑って、こころの中で鬼になる
(どっちが化け物だよ! 若いくせに盛りだくさんの皺を作って、背中丸めて、しょぼくれて!)
「皺なら、わたしだって売りたいほどある。違いは、わたしの皺は上等なの。くっきりとした影法師がある皺なの」
「わたしには戦わなければならないことが、山ほどあったし、今もあるの。世間が作った常識とか、もっと大事な法律の決めごとを知らないので、いつも負けるのよ。負けて勝ちを取るなんて才能は持ち合わせていないから、しょうがない……」
と、柄にもなくしょげるわたしを、ここでも彼らは放棄する。
放棄するまえに、憧れに見せかけた憐憫のような、なんともいいようのない友愛の笑みでわたしを包んでくれる。
彼らのやさしさを感じながらも、わたしは彼らの眼の真ん中を見て、ピカッ! と笑う。
世間知に無知な自分への、了解のつもりの、やけくそのピカッ、である。
※ウイキペディアより
1932年8月11日生 89歳(2022年)
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惠子さんの知性と美貌には、遥かに及ばない私ではありますが、
とても共感できます。(私も長く独り身)
(無神経な)夫婦者よ、聞け! と思いますね。
シャネルも、サン・ローランサンも似たようなことを言っていたように記憶しています。
勿論、暖かい思いやりに助けられたことも多々あります。世の中、捨てたもんじゃないと元気づけられました。これは、忘れずに言っておきたいと思います。
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