emilyroom’s diary

徒然なるままにブログ

「キンセン」  谷川俊太郎  

   「長い老後をいかに楽しむか 9」

 

認知症」の方の介護にほとほと疲れて、グループホームの門をたたくとき、

「もう、私の顔も覚えていない」と、嘆かれる人がおられます。

ご家族であれば、そのショックは大きいと察せられます。

 

 でも、そうではありません、忘れたわけではないんです。

 今、別の部屋にいっておられるから、あなたのことを考える時間がないんです。

 何かの折に、フッと思い出される時がありますから、わかるんです。

 

谷川俊太郎さんの詩に「キンセン」というのがあります。

長谷川式簡易知能評価スケールの長谷川博士の本で知りました。

 「父と娘の 認知症日記」

   長谷川和夫・南髙まり著 中央法規

 

 

認知症」の人の心模様がよくわかります。

 

キンセン   谷川俊太郎

 

「キンセンに触れたのよ」

とおばあちゃんは繰り返す

「キンセンって何よ?」と私は訊く

おばあちゃんは答えない

じゃなくて答えられない ぼけてるから

じゃなくて認知症だから

 

辞書を引いてみた 金銭じゃなくて琴線だった

心の琴が鳴ったんだ 共鳴したんだ

いつ? どこで? 何が 誰が触れたの?

おばあちゃんは夢見るようにほほえむだけ

 

ひとりでご飯が食べられなくなっても

ここがどこだか分からなくなっても

自分の名前を忘れてしまっても

おばあちゃんの心は健在

 

私には見えないところで

いろんな人たちに会っている

きれいな景色を見ている

想い出の中の音楽を聴いている

 

   朝日新聞2008年9月5日夕刊

    「谷川俊太郎 9月の詩」に掲載

     「こころ」(朝日新聞出版)

 

 

さすが、詩人は見ているな。

脳の神経組織がボロボロになって、身体の機能は失われても、心は自由に飛び回っている。

そして、「琴線」なんて言葉を思い出すんだ。

医学的に証明しようとすれば、何冊も本を書かなければならなくなることを数行でまとめてしまった。

 

 

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あなたの大切な人は、これまでの思い出とともに生きています。

自分のペースで生きていますから心配しないでください。

会ったときは、大切な人のペースに合わせておしゃべりしてください。

もしかしたら、どこかで、心と心が交差して

琴線に触れたのよ、と

ニッコリ笑ってくれるかも知れません

 

 

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こころ

 

 

 

 

 

 

 

 

谷川俊太郎さんの詩 キンセン