数年前、文楽を見に行く機会があった。
そして「風貌」の吉田栄三氏のことを思い出した。
蹴られた足の脛は痛かっただろうなと思って心が痛かった。
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文楽座の立役遣い(たてやくづかい)の名人初代吉田栄三は、小兵(こひょう)な爺さんだった。
「私はご覧の通り、ちんぴらで、非力(ひりき)だっさかい」と口癖のように言っていた。
栄三の舞台を観た人なら、誰でも印象に残っているだろうが、栄三は、いつも口をへの字に結んで、上手(かみて)の天井(てんじょう)の一角をグイと睨んでいた。その上、こめかみには憎らしい青筋が二又立っていたものだ。
…… 小兵で非力な男が、長年重い人形を支えてきたための、謂わば、必然的な体勢だったのかも知れない。
そして、それは、写真家としての僕も経験のあることだが、カメラを構えてモチーフと対決している時は、への字口になる。
つまり、息を凝らして、必死に気合を籠めていれば、必然的にへの字口になってしまうのである。
だから、助手に何か注意しなければならぬ時は、実に困る。
つまり口が利けないのである。
そんなときは、拳骨で助手の頭をゴッンと殴るより仕方がない。殴られた助手は、ゴッンとやられた瞬間に、自分は何故殴られたのか、その原因を直感しなければならない。もちろん、慣れた助手は、ゴッンですべてが分かるのである。
だから、ゴッンとやる代わりに、履いている舞台下駄で、助手である左遣いなり足遣いなりの向こう脛をガンと蹴るのである。
これを人形遣いの隠語では、「カス」を喰わすと言っている。
栄三の句
「人知れぬ苦労を背負うや蔭の下駄」
「蔭の下駄」という結句には、
十二歳の初舞台以来、特に定まった師匠もなしに、先輩の誰彼(だれかれ)から「カス」を喰わされ通しで修行した栄三自身の痛切な下積みの苦労が、籠められているのである。
ーー 個人的に会った時の栄三は、行儀のよい気難し屋で、僕にとっては、余り感じのいい爺さんではなかった。
しかし、舞台の上の栄三は、
例えば、「河庄(かわしょう)」の幕あきで、「魂ぬけてとぼとぼと」出て来て、「河庄」の行灯(あんどん)を見て、トンと極(き)まった時の栄三の治兵衛ほど、気品の高い演技を僕は他に知らないのである。
僕は栄三の「河庄」や「沼津」を観たことを一生の眼福(がんぷく)だと思っている。
天婦羅と枝豆が大好物だったこの名人は、昭和二十年十二月九日亡くなった。
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土門拳氏は、写真は当然のことながら、文章も素晴らしく、いつも笑わされ、泣かされている。その後、しみじみと感慨に浸らせるのである。
これは私の定義(?)によれば、名品、名作である証拠である。
随分昔のことになるが、あるカレンダーに惚れ込んだことがある。
そのカレンダーは、写真だけ残して、何年も風景を楽しんだ。
ただ、風景を撮影しているのではなく、私の心を鷲づかみにしたのである。
写真には、こんな力があるのかと驚いた。
カレンダーの撮影者の名前はわからなかった。
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