emilyroom’s diary

徒然なるままにブログ

シャネル 70歳でコレクション開く CHANEL  2

シャネルは70歳で、カムバックした。

 

 8年間のスイスでの亡命に近い生活の後

1953年 パリのカンボン通りに帰る。

 それから、1971年、死ぬまでの18年間、

再びモード界の女王として君臨する。

 

 カムバック後の第1回コレクションは、大失敗だった。

 

 神話の女神のような好奇の目をもって迎えられた。

 

 頑固な老嬢の、かつての時代へのノスタルジーとしかうつらなかった。

 

 シャネルの生涯で、初めての失敗となった。

 

《シャネル・ルックを受け入れたのは、アメリカだった》

 

 戦争に勝ったアメリ

 

 活動する女の多いアメリ

 

 経済力を持ち、合理的な女たちが、

 シャネルのスタイルを積極的に受け入れた。

 

 シャネルがコピーすることを暗に認めていたこともある。

 

 つまり、上は1000ドル、下は20ドルぐらいのシャネル・スーツが

着手の経済力に合わせて、アメリカでは着られたということだ。

 

 シャネルは、コピーされることを恐れなかった。

 

 シャネル・スーツは、

エレガントで活動的な女たちが、安心して、いつでもどこへでも着ていけるスタイルだ。

 

不変のスタイルだった。

 

 コレクションから多少の間をおいて、潮のような支持が大西洋の彼方からおこり、

再び、パリやロンドンに逆に波及していった。

 

 

・・・・・すでに、名声は確立していたとはいえ、

70歳でカムバックするのは大変だったのではないか。

今でこそ70代が仕事をするのは普通になりつつあるが…。

 

シャネルには、仕事しかなかったといわれる。

 

オーナーとして仕事をしている人は、ほとんど同じ思いだろう。

 

仕事で成功し、名声も得て、死ぬまで仕事ができて、幸せな人だった。

 これは、高齢社会になる今まで、案外理解してもらえなっかたかもしれない。

 

 シャネルは一人、仕事を終えて、ホテルで倒れ、そのまま天に召された。

87歳だった。(1971年)

 

 

シャネルの 女についての言葉

 

 ほとんどの男は不正直だが、女はなべて不正直のののかたまりであろう。

 女に対して、あたしは友情のひとかけらももっていない。

 

 一人の女 ー これを分析するとこうなる。

欲望、虚栄心、おしゃべり、精神分裂、つまりはコケットリーだが、

これはあたしが大好きである。

 

 女は衣装を選ぶのに色で選ぶ。それもいいことで、

もしそれ以上に本質的なものをつかみ取ることができたら、

これはもう男であることと変わりない。

 

 妻のおかげで立派になった夫というのに

あたしは出会ったことがない。

反対に妻によって立派になりそこねたという例はいっぱいある。

 

 男より女の方がこわいというのが、あたしのいつわざる気持ちだ。

 

 もしあたしが利口だったら、あたしは成功しなかったろう。

無理解、人の言うことを聞かない、がんこが、

あたしの成功の基本になった。

 

・・・・・

 

 どこからでも「名言」が出てくる。

 生き方の密さが、どこを切っても「名言」が、

でてくる理由だろうと、愚考する。

 

 

      

 「 獅子座の女 シャネル 」( ポール・モラン 著 秦 早穂子 訳)より

 

 

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