emilyroom’s diary

徒然なるままにブログ

オピオイドで破滅   robber

 エリート技術者の私が銀行強盗になった訳

       トニー・ハサウェイ

   ニューズウィーク 2022. 1-11号 より

 

 1990年、21歳の時に、テクニカルデザイナーとしてボーイングに採用された。

 2年後には結婚して子供もうまれ、家も建てた。まさに順調満帆だった。

 

 2003年に仕事仲間とローラーホッケーをしていて転んだのが原因だろう。

 

 腰痛に悩まされ、MRI検査で椎間板損傷と診断された。

 

 手術を受けたが、術後に痛みが再発。

 

 05年にオピオイド系鎮痛剤オキシコンチンを処方された。

 

 最初は少なめの量。

 だが1年足らずで処方できる限度まで必要になり、

 それでも足りず違法の処方箋を出す医者の元に通いだし、

 ついにはヤミの売人から買うようになった。

 

 薬が速攻で効く裏技を教わる。

 錠剤のコーティングを削り取るか、錠剤を粉々にくだくやり方

 

 製造元の会社が製法を変え、コーティングを削ることも、錠剤を砕くこともできなくなる。

 

 そのため多くの使用者がヘロインに走った。

 

 初めてヘロインに手を出したのは11年初め。

 11年6月 息子と銀行強盗を企て逮捕され、ボーイングをクビになった。

 息子もヘロイン依存症だった。

 

 

 1年ちょっとで、ヘロイン中毒になり、会社をクビになる。

 凄まじい転落ぶりだ。

 

 銀行強盗で稼げる金額は思ったほど多くなかったらしい。

 「最重要指名手配リスト」に入る。

 30回も銀行強盗をやって逮捕される。

 

 

 年金暮らしの母親と暮らすようになった時、

 

 ヘロイン欲しさだけでなく、家族を養うためにも銀行強盗をしようと思いたつ。

 クスリ漬けの自分にまともに働くという選択肢はなかったと言う。

 

 本人には、現実的判断だったかもしれないが、クスリの前には、まともに頭は働かないらしい。

 

 14年2月11日 30回目の犯行で捕まる。

 警察に後をつけられているのは分かっていたが、それでもやった。

 もはやクスリの奴隷だったと、語る。

 

 ヘロイン中毒の恐ろしさをまざまざと見せられた。

 

 9年の懲役刑を言い渡されたが、模範囚として19年11月に釈放された。

 

 52歳の今、人生の再スタートを切った。

 

 刑務所にいる間、禁断症状にのたうち回った。

 出所後もヘロインには手を出さず、既に8年薬物を断っている。

 

 私が伝えたいのは依存症の恐ろしさだと言う。

 

 痛みを止めるために、処方されたクスリが仇となった。

 

 《オピオイド禍の魔の手は

       どこにでも潜んでいる》

 

 惨めな体験をあえて書いたのは、誰にでも起こり得ることだからだ。

 

 クスリを断つことは、誰にでもできることではないと思う。

 

 これからが幸せな旅となるよう祈ります。