「つまずいたっていいじゃないか
(it's ok to stumble, isn't it we are
human after all)
世界に広がる「みつをの詩」の英訳です。
先日、相田みつを氏のご子息で東京国際フォーラムにある相田みつを美術館の館長 相田一人氏が講演された。
ヒューマンキャタピル勉強会で
『今、何故この時代に相田みつをが受け入れられるのか』について講演された時の内容をインターネットで見つけた。
勝手ながら、私の気になった箇所を挙げさせていただく。
今や知らない人はいないと思える
相田 みつを
・ 栃木県足利市で生涯を過ごす
・ 兄弟(長男、二男)が戦死
・ 戦争に行って辛うじて帰って来た
戦中派
・ 60歳で「人間だもの」を出版
・ 67歳で死去
生涯の師 曹洞宗、高福寺 武井哲応住職との出会い
1943年 書家 岩沢渓石氏に師事
「生きるのがへたな人へ」紀野一義
*この本によって相田みつをが紹介され、
世に知られる
「真如会」(しんにょえ)の会員
*紀野氏は「真如会」設立 主幹
日本の仏教学者、宗教家
嫁と母の確執
「癒しの画家 : 相田みつを」と言われることに
抵抗があると言われる一人氏
『具体的に動くと具体的な答えがでるよ』から
「相田みつを」を読むと「癒される」とおっ
しゃる方が多いですね。また
「癒しの書家: 相田みつを」なんて言い方をよくされますが、私はそれに非常に抵抗がございます。
…所謂安易な癒しのような言葉ってひとつも無いんです。
『具体的に動くと具体的な答えがでるよ』という作品ですが、これはある意味物凄く突っ放した言い方、人によっては冷たい言い方ですね。父の書いているものってこういう物なんです。
つまり父自身は、見る人を「和ませよう」「癒そう」という気持ちで作品を書いたことは
無いはずですし、そういう気持ちで作った作
品なんてどうしようもない作品に決まってま
すから。父の作品は全部自分に向けての物な
んですね。
…当たり前の事しか書いてないですが、当た
り前の事って意外と分からない事なんです
ね。
それが結果的に見る人の心を癒す効果はある
と思います。
ですから作品を見ている人は最初のうちは
相田みつをと対話をしているんですが、段々
とその言葉の余白の部分に自分の顔を映して
いく様になるんだと思います。
結局作品を通して自分と対話する様になる
んだと思います。
自分と対話をする様になると、その時の自
分の気持ちってはっきり見えるんだと思いま
す。
その事によって落ち着くとか癒やされる感
じになるのではないでしょうか。
ですので、「癒し系: 相田みつを」ってレ
ッテルを私は剥がして行きたいですね。
と、はっきり言っておられる。
正直言って、私は心が少々ひねくれているらしく、初めて相田氏の作品を見た時は、「何だ、この小学生が書いたような作品は。」と驚いた。でも、いい事言っているし、字はバランスが良いなとは思った。
額に入れて、校長室に飾るような作品かなと思っていた。
ところが、ある時、テレビでみつを氏の特集を見て、びっくりした。
穏やかで、苦労のない人生を送ってこられたんだろうと勝手に思い込んでいたからだ。
その過酷な生涯は、作品に対する思い入れと生き方の真摯さからくる「苦労」に満ちていた。
ご子息一人氏が言われる様に、人を「癒す」ために書かれたわけではない。
そんな作品なら、例えば、亡くなられた後は、顧みられることはなかったかも知れない。
しかし、実際はますます作品は売れ、展覧会には多くの人が押し寄せている。
阪神大震災の時、菅原商店街の人達は復興に向けて頑張ろうとしたとき、みつを氏の言葉を壁に飾り、心の支えにされたと言う。
又、「いのちの根」と言うドキュメンタリーの中にみつを氏の「いのちの根」を毎回朗読する場面があると言う。
このドキュメンタリーは、長野県のテレビ局から相田氏の作品を使ったと事を知らせて来たものだ。
内容は、中学校を出ないで世の中に出て、そこで犯罪を犯して刑務所に入っている人が非常に多い。服役者の中で勉学の意欲があると認められた人の為に、長野県の松本市に「塀の中の中学校」があり、その一年間の様子を収めたものだ。
非常に丹念に作ってあるドキュメンタリーと一人氏は感心されている。
「いのちの根」は、地味だが相田みつをの代表作だと一人氏は言われてる。
相田みつを氏は、死後ますます活躍されている。安っぽい「癒し」の人には出来ない仕事だろう。
いのちの根
なみだをこらえて
かなしみにたえるとき
ぐちをいわずに
くるしみにたえるとき
いいわけをしないで
だまって批判にたえるとき
いかりをおさえて
じっと屈辱にたえるとき
あなたの眼のいろが
ふかくなり
いのちの根が
ふかくなる
みつを
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