葛飾北斎は、天保5年(1834)に刊行した『富嶽百景』前編奥付で
「己は六歳から物の形状を写す癖があった。五十歳ごろから数々の絵が知られはしたが、七十歳前に描いたものは取るに足りないものばかりだ。七十三歳でようやく禽獣虫魚の骨格、草木の実正が理解できた。故にハ十六歳になればますます進歩し、九十歳では奥義を極め、百歳にしてまさに神妙に至るだろう。百数十歳にして一点一画を描くだけで生けるごとくならん。願わくは長寿の君子は、わしの言葉が妄言でないのを見届けられよ。画狂老人卍述」
と語った。
六歳から物の形状を写す癖
五十歳ごろ絵が知られたが
七十歳前に描いたものは取るに足りない
七十三歳で禽獣虫魚の骨格、草木の実正が理解できた
故に
ハ十六歳になればますます進歩し
九十歳で奥義を極め
百歳にしてまさに神妙に至るだろう
百数十歳にして一点一画を描くだけで生けるごとくならん
と語ったとある。
江戸時代は、まだ長寿社会ではなかったが、長生きする人はいたのだ。
北斎は九十歳まで生きた。
そして、今、高齢者たちは、「楽しみを持ちましょう」「生きがいを見つけましょう」などと言われる。
天才画家と一緒にはできないが、目的があると人は歳を忘れて生き生きと生きられる。
北斎は死の淵にあっても、「…あと十年、…せめてあと五年の命をもたせてくれるなら、本物の絵師になれるのだが…」と言い、まだまだ意欲は十分だった。
長生きの理由を知りたければ、長寿の人に聞きなさいと偉い先生が言っておられたそうだ。
北斎ほど派手な生き方はお薦めできないが、物事に一心に打ち込む姿は、長生きの重要なキーワードだろう。
天才画家の絵について語らず、長寿について語ってしまった。
平均寿命が20歳前後の時代に90歳まで生きた北斎。
驚きと共に、現代の高齢化社会が学ぶ事があるかも知れないと思った。
◆ 参考図書
日本史有名人の苦節時代 新人物往来社編
新人物文庫
日本史有名人の晩年 新人物往来社編
新人物文庫