勝 海舟は9才の時、自宅に帰る途中、野犬に襲われる。
医者が血で真っ赤になった袴を取ると、睾丸が丸出しになっていた。袋はかみちぎられている。
父親の必死の看病のお陰で70日後には日常生活ができるようになった。
が、強度の犬嫌いになる。
この事から私が感じたのは、江戸時代は、野犬が多かったと言うこと、それと、父親の小吉の子煩悩、看病の凄まじさだ。
「御家人くずれの剣術遣い」と言われる父であったが、裸で金毘羅参りをし、休む時は麟太郎(海舟の幼名)を抱いて寝たらしい。
我が子の為とはいえ、ここまでする人は少ないだろう。
勝 海舟の父小吉は、号を「夢酔」と言い、生涯を市井の不良・暴れ者で貫いた御家人くずれの剣術遣いだった。
老いの坂道にかかると、人並みに自分の来し方をふりかえるようになり、それがあまりに下らないことだらけだったので、子々孫々を戒めるために筆をとり、『夢酔独言』なる自伝を遺した。
『夢酔独言』によると、
…或る日けいこに行く道にて、病犬に出合いてきん玉をくわれた…
…息子が少しも泣かなかった故…容子(ようす)を聞いたら、命は今晩にも受合できぬと言ったから…その晩から水を浴びて、金毘羅へ毎晩はだか参りをして、祈った
以後、小吉は夜休むとき麟太郎を抱いて寝て、ほかの者には触らせない。また毎日むしゃくしゃして暴れ回るので、近所の連中は
「…子を犬に喰われて気が狂った」と噂しあった。
そのうち、患部の傷も癒えて、麟太郎は70日目に床を離れた。
「それから今になんともなゐから、病人はかんびやうがかんじんだよ」と語っている。
カンラ、カンラってか。
こんな人いるのよね〜。
何故かはわからないが、素人なんだけど、プロも及ばない看病をする人、犠牲を厭わず専念して治してしまう人。
プロも脱帽!(かな?)
海舟は、こんな破天荒な、真面目な父親に育てられた。
彼の人生が平凡であるはずが無い。
○○玉なんて書いて、親が2人ともあの世の人で良かった。
生きて、こんな文章を読んだら、仏壇の前に座って「おなごのくせにこんなことば書いて。恥ずかしか。ご先祖様に申し訳なか!」と、泣き崩れるかも知れない。
◆参考図書
新人物文庫
高校日本史に出てくる歴史有名人の裏話